人間の知力の形成において、幼児期の環境は重要なんよ。
周囲の観察によって、どうやって生きるかを学ぶらしい。
単語をポツポツしゃべり始めた子供が、あれよあれよと言う間に流暢にしゃべるようになる。
その頃に、難しいであろう文法をアッサリ覚えてしまう。
それだけ幼児期の頭脳は柔らかいわけなんじゃけど、この時期に充分なコミュニケーションが取れないとその後の知力の発達が大きく阻害されるんよ。
動物に育てられたり、監禁されたりした場合がそれに当たる。
そういう環境で育った子供は、大きくなっても言葉を話すことが非常に困難になるんよ。
これとは逆のこともある。
外国人集団が身近におった場合、子供同士が遊んどるうちに、お互いの言葉をペラペラしゃべれるようになる。
あの子わけわからん言葉しゃべると思うたら、近所のミャンマーの人らの言葉じゃったとかいうもん。
それで、グループ同士のコミュニケーションをとるのに、そうした子供が通訳をさせられるいうことがある。
子供たちには自然なことでも、大人同士ともなるとそうもいかない。
何を言うとるのか、チンプンカンプンである。
私もかつて東京で、マラヤーラム語をアマル君から習うとった。
そのペラペラしゃべりよる子供が大きくなった時、他の新たな言語を同じようにできるようになるか言うたら、それはできんのよ。
この幼児期にだけ活動して、その後失活してしまいよる脳の部分を、幼児失活領域としてその活性化を考え始めた。
これは幼児期を過ぎたとしても、条件次第で復活するもんでもあるらしい。
私も今、何ヶ国語か話すようになってしもうたんじゃけど、その背景にはこの幼児失活領域の部分復活があるらしい。
それがだいたい4割弱。
それでもやはり、ネイティブレベルかいうとそうでもない。
相手は絶賛してくれるんじゃけど、さりとておそらくその人らからすれば3〜4歳ぐらいの語彙しかない言語ばかりじゃろう。
一応コミュニケーションがとれるレベルでも、細部まで同じかいうたらそれは勘弁。
逆に発音の細部まで上手かった時には、相手は絶賛すらせずに固まってしまう。
上手い、上手過ぎるとか言うてね。
外国人の子供と遊ぶ日本の子供とか見ると、やっとることは泥んこ遊びとかままごととかたわいもないことばかりて、乱雑にごちゃごちゃやっとるように見える。
しかし、幼児失活領域を働かせながら、理にかなった動きで習得しとるんよね。
私がそうした脳の領域を部分復活させた時期は、主に中学2〜3年の頃のようじゃ。
言われてみれば、あの頃が落ちこぼれてそのドン底じゃった気がする。
それから下げ止まって底打ちして上昇したことを考えれば、なにかそこで掴んだもんがあったと思える。
そこを解明すれば、何かわかる可能性がある。