最近上司が、私の農業に関する話を聞きたがる。
やはり、会社の仕事にいや気がさしとるんじゃろう。
そらそうよね、本来自分でやりたいいう仕事じゃないけえね。
そんとなことは、もう10年も前からわかりきったこと。
それがイヤなら、相応の動きに出るしかない。
しかし、能力が育つのに10年単位の時間がかかるのと、慌ただしい日常の中では育てるのも難しい。
本当に会社の仕事が好きでその能力がある人は、昇進していく。
私はノーであり、そのためにまくってきた。
カイアポを中心とする起業を考え、進んどる現実がある。
上司はさらに上にいく能力があるかいうとビミョーかな、今のポジションにかなり長い。
一つ言えるのは、私とは使うとる能力が全く違ういうこと。
時々、六崎さん中国語教えてとか言うんじゃけど、三日坊主でほとんど覚えない。
六崎さんの育ててるイモって何だっけ?も毎回聞いてきよる。
内心カイアポの四文字も覚えられんのかいって思うんじゃけど、なぜか覚えられんのよ。
おかしいのう。
事務的なことはキッチリやって、職場を管理はしとる。
毎月の施策とかもキッチリ覚えて、相応の指示を出す。
逆に私はいうと、毎日レンガを積むように多彩な外国語を覚え、毎年見違えるようにレパートリーが増える。
そして研究も進み、農業のセミプロを育てる有り様。
波動の技も、毎年進歩しとる。
会社の施策に関しては、正直なところ完璧ではないんよ。
職場を管理しろと言われても、ようやらん。
さて、そうした両者の能力を比べた時どうか。
上司はキャリアが増えるものの、能力はさほど変わらない。
私は、目に見えない能力が相当増大しとる。
上司は地面に棒を立てるようなことをやり、私は砂を盛るような感じに近いかな。
上司の立てる棒は一過性のものであり、数ヶ月すると要らんようになる。
私の盛る砂は、1日2日では高さがあまり変わらんのじゃけど、年単位では相当高くなりよる。
上司は目先のことを追いかけてそれをこなすような動きであり、やるべきことがどんどん移り変わり不要になっていく。
しかし、そうした動きをせにゃ務まらんこともあり、じっくり能力を育てることができない。
言わば、能力の使い捨てに近いんかもしれんのよ。
すぐ覚えてすぐ忘れるような動きで能力を使うとる。
私の場合は、おそらく上司よりも施策とかを覚えるのが遅いじゃろう。
しかし取り組んどることの学びの内容は忘れとらんけえ、能力は年々変わっとる。
私にはどうせ数ヶ月先に不要になる施策なんか覚えたいとも思わんし、その細部は上司に任せておけばええと思うとるけえ上司ほどできない。
逆に上司は、中国語を覚えるよりも職場をまわすための施策が重要じゃけえ、それ以外が無理になる。
そんな上司が、漢方をやりたいとか言う。
はぁ?と思いよったんじゃけど、おそらく私以上に農業に時間を割くことは難しいじゃろう。
そしたら、極力ケアが少ない雑草漢方になる。
それで、ヒナタイノコヅチを教えてあげた。
それが儲かるかどうかは別にして、上司のライフスタイルからすると、肥料や水やりが要らない雑草しか思い浮かばんのよ。
しかし、そのヒナタイノコヅチいう名前も覚えられん。
まあそんな感じ。
これで、その上司を農業やるのに会社から引き抜いてどうかと考えると、おそらく使えないんじゃなかろうか。
覚えて忘れるをくり返してきたような人に、年間を通してじっくりやらにゃいけん農業のダイナミックさは、おそらくわからんじゃろう。
ヒラの私でも、業務モードと農業モードの切り替えは大変じゃ。
ましてや、上司のポジションの人で農業で戦力になりそうな人はおそらく1割ぐらいじゃなかろうか。
コマギレの時間でできることはあるんじゃけど、じっくりやらにゃできんこともある。
コマギレの時間を集めたとして、やはり上司には今以外のことはできんじゃろう。
やはり人間積み重ねや習慣は大事で、特にそれが若い頃からの場合は容易に動かし難い。
20代から実力の養成に取り組めた人は、おそらく40代には相当な実力になっとるじゃろう。
しかし、会社人間で慌ただしく40代になった人には、その会社のキャリアしかない。
30代40代で私のとこ来た人は多いんじゃけど、おそらくしまったと思うことは多いじゃろう。
なんでもっと早く教えてくれんかったんじゃいう思いは、少なからずあるじゃろう。
しかしそこから10年あるいは15年打ち込んだ結果は、脱落した人とは雲泥の差。
私が死んだとして、それそれが相応の技の師匠として流派を立てられるじゃろう。
アスペルガーのYさんとて、初心者からは初歩のこと教わるのにおいてはそれなりの力を発揮するじゃろう。
リストラに遭うた会社人間を、いずれ助けることもあるじゃろう。
そうした時に、そのコチコチになったもんのリハビリから入らにゃいけんわのう。
それがあるいは、アスペルガーを治すよすがになるのかもしれんねぇ。