六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

年末のひと時、吉田郡山城に行ってきました。

今年もあとわずかになってまいりましたが、サツマイモの収穫も終えて、混み合う前にちょっと出かけてきました。

 

目指すは、広島県吉田郡山城です。

 

ここは毛利輝元が本拠地を広島城に移すまでは、代々毛利家の居城じゃったんよ。

 

戦国時代、ここを舞台に尼子の大軍を撃退した郡山篭城戦がありました。

 

朝イチの電車で姫路を出発、途中遅れることなく広島から快速みよしライナーに乗りました。

 

キハ47のタラコです。

 

郡山城近くまでは一昨年行ったんじゃけど、電車の遅れに邪魔されて志和口止まりになり、はじき返された。

 

今回は、ズバリ現地に行きました。

 

快速では最寄りの吉田口には止まらんけえ、行きは甲立駅からスタート。

 

帰りも甲立から乗ったんじゃけど、吉田口からでも距離的にはそんなに変わらんのよね。

 

江戸時代に破却されて、昔の名残りはあんまりないんよ。

 

さらに奥の猿掛城は遠過ぎて、今回は断念。

 

ともあれ、往時のあれこれをしのぶ旅となりました。

 

ここ芸備線は、昨年の豪雨災害では被災してしばらく復旧できんかったんよね。

 

豪雨災害が多発するようになったこともあり、いつまた寸断されるかわからんけえ、行けるうちに行っておこういうことになりました。

 

かつてにぎわったであろう城下の郷やその周辺も、今は最寄り駅を見てもわかるように、さびれまくっております。

 

攻めにくく守りやすい山城も、戦国時代ならではのもんよね。

 

帰りはブックオフのハシゴをしようとしたんじゃけど、思うた以上に郡山城登山に時間がかかり断念。

 

遊歩道の整備もイマイチで、かなりハードな登山になりました。

 

標高300メートルの山に登るのを、甘く見るべきではなかった。

 

道無き道を、獣道のようなとこを頼りにとにかく登る。

 

旧本丸はかなりちっぽけであり、鎌倉時代に赴任してきた実質上の安芸毛利の初代時親は、単に役目として住むような感覚じゃったと思われる。

 

やがて戦国時代になり、周囲と凌ぎを削りながらの状態になると、山全体を城郭として整備する必要に迫られ、本丸も頂上に移転した。

 

今や木が生い茂り、その根っこを足場に上り下りするようなとこもあり、野生動物の糞がそこかしこ。

 

急峻な崖もあり、夜とかは絶対に行くべきじゃないのう。

 

足を踏み外せば、滑落して死ぬかもしれんのよ。

 

行くとしたら、1日かけるようなことを考えにゃ無理よね。

 

想定より2時間近くオーバー、それでも本数が少ない列車にほぼピッタリに乗れました。

 

帰りは横川に立ち寄り、ホワイト餃子を買うて帰りました。

 

行くとして、やはり春か秋がええんじゃないんかねぇ。

 

夏なんかとてもじゃないんじゃけど、暑くてもてんのじゃ。

 

甲立駅で降りた時は11時なんじゃけどすごく寒く、やがてそうでもなくなり、本丸にたどり着いた時には汗ばむ感じじゃった。

 

山じゃけえ、昼夜の寒暖の差がデカいのう。

 

いずれこの郡山城登山は、うちらのグループの修行の何かにしようかな。

 

聖闘士星矢の十二宮みたいな感じで、突破していくと。

 

ともあれ、行ってよかったと思います。

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