昔懐かしのボルテスVを、最初から最後まで通して見てみました。
今の日本でボルテスを知る人はあんまりおらんと思うんじゃけど、フィリピンでは国民的人気アニメ。
それを知った時は、そらそうじゃろういう感じで嬉しくなりました。
軍歌としてもボルテスの主題歌が使われとる。
みんなしてボルテスの歌を歌う、しかも日本語で。
日本ではコンバトラーVの二番煎じいうことで同級生は見向きもせず、その後に放映された闘将ダイモスは5機合体のコンバトラーとボルテスでのメカニック設定とは違うもんになった。
子供がコンバトラーの後に見てしまうと、メカニックはさすがにつまらんと思うわ。
しかし、私はメカニックなどには目もくれず、そのストーリーの複雑さと人間関係の難解さに惹かれて釘づけとなった。
実家の虐待のことでその解決の糸口を探るべく、少女マンガやらあとはボルテスとか宇宙戦艦ヤマトとか。
宇宙戦艦ヤマトでは、個別のキャラクターの言うセリフや行動に学ぶところが多かったんじゃけど、ボルテスは難解で複雑な人間関係を読み解くことが相当思考訓練になった。
ヤマトでは沖田艦長やスターシアの言葉、ドメル将軍の作戦の立て方がよかった。
ボルテスには傑出した存在はおらんかぅたんじゃけど、最初平凡に見えたような人たちが案外そうでもなく、結構特殊な事情を抱えとったいうことよね。
ボルテスを作った剛健太郎が実はボアザン星人ラゴールじゃったり、敵のリーダーハイネルがその息子であったり、そのハイネルがボルテスに乗る剛兄弟と兄弟であったりなどなど。
知らんこととはいえ、親子兄弟で戦うとったわけよね。
その背景にあったのが、ボアザン星の身分制度なんよ。
この身分制度で2つに分かれとる人らは、地球人のルーツを辿ればオリオン星系になるんじゃけど、ボアザン星みたいにひどくはないにせよ、上流階級とそれ以外はお互いそれぞれで結婚するんよね。
ボアザンでは角の有無なんじゃけど、オリオン星系では翼の大きさなんよね。
大きな翼で空を飛べる者と、羽が小さくて飛べん者。
上下関係があるんで、当然軋轢もあるじゃろう。
そういうのを垣間見る意味でも、それが行き過ぎた描写のボアザン星を見るとそれなりにわかる何かがあるんよね。
私の場合は、実家の事情が平凡に見えて実は複雑じゃった。
父方の祖母は本当はおらず、生まれた時におった祖父の嫁は3人目じゃった。
父の兄弟はそれぞれ母親の違うグループに分かれ、そこに父の暴力と嘘、祖父母の嘘や隠蔽か形作った闇の世界が展開しとった。
それを知らんまま、両親の暴力から身を守るために力を尽くしたんじゃけど、ボアザン星のハイネルのように情報が遮断された中においてのことじゃったんよね。
当然、知らんがゆえの誤解や失敗があり、我ながら何と自分は間抜けじゃったんかって思うた。
そこらへんから、ハイネルの似たような行動に関しては人ごととは思えず、笑うに笑えないいうシャレにならん事情があるんよ。
大学生になって、母方の親戚から実家の事情を聞いた時には愕然としたんじゃけど、道理で納得いくもんが多々あった。
あと六崎家自体頭のええ人が多かった関係で、攻撃も緻密かつ効果的であり、打撃もデカかった。
そうした環境でなんとか持ち堪えた関係で、私自身も対抗できる力を持つことができた。
しかしこの六崎対六崎の争いは、当然ながら数に勝る方が優勢になる。
そこで私は同じような立場にある叔父たちを仲間にして、力を糾合して戦う方針にした。
しかし彼らには戦うだけの意思や力はほとんどなく、情報を得るのみじゃった。
ちょうどそうした中で祖父の力が弱まり、実家の勢いが崩れてきた。
私の繰り出す攻撃で、父の嘘が露見。
敵じゃった母親が戦線離脱し、さらにパワーバランスが崩れた。
また、やはり父の側におった叔母とその旦那が真相を理解して味方になった。
関係が悪化したのは事情がわからん叔父一人で、変わらずが叔父二人、あとはほとんど私の味方になった。
関係が悪化した叔父も今さらもう会うこともないけえ、痛くもかゆくもない。
このようないろんな背景の中、謎解きをし続けた私はボルテスを思わずにはおれんかった。
日本ではマイナーなアニメでも、あの内容を理解して共感する国があるとも思わんかった。
日本であんまり知られとらんアニメじゃけえ、これまであんまりボルテスの話はせんかったんよ。
しかし、フィリピンでの人気は改めてこの作品の価値を証明することとなり、ここにきて見直す必要にせまられた。
この話の難解さを追うことで、謀略を会得する思考訓練になる可能性も見えてきた。
特に前やんなんかは、ペリーヌ物語を観たような感覚にアレンジを加えると、ええとこいくかもしれんのよ。
次点でオルゴンMかな。
ただし、オルゴンMの場合ちょっと世代がズレとるんで、そこだけしっくりこない感じがするかもしれんのよ。
あれね、ほんま絶妙な時期に放映されとったと思うわ。
小学校3か4年生であり、その後間もなく再放送やったけんね。
再放送の時は事実確認のために、毎回観たんよね。
あれで年齢が小さければ理解できんかった可能性があるし、もっと歳いっとったら観んかった可能性がある。
ともあれボルテスに潜む複雑な事情は、表面的なロボットのメカニックアクションに覆い隠されとる。
しかしそれが徐々にはがれていきよる様は、いろいろ考えさせられるんよね。
ボルテスも含めて昭和50年代にやっとったアニメには、その後の私に大きく影響を与えることになった。
思えば、ええアニメがいろいろあった時代じゃったと言える。
それらが時空を越えて、再び私らに奉仕してくれる。
ありがたいのう。
文句を言わしてもらう点があるとすれば、毎回合体シーンが長過ぎなのと、メカの描写が不自然なんよ。
いや、そんでもそのぐらい許す。
許して余りあるぐらいの名作じゃ。
あれをリメイクするとしたら、ちょっと無理かもしれんし、ていうかあれはあれでええのかもしれんね。
ツッコミたいとこツッコまずに、観ましょうね。