大企業で管理職を目指すとなると、そこでしか通用しない能力に特化あるいは目先の指示に忙殺されることになる。
何かのための何かなんじゃろうとは思いながらの、わけのわからん事務作業が多い。
それで、どこへ行っても通用する能力は育たない。
最初の就職先や今の職場がそれにあたり、特に最初の就職先は何やっとんのかさっぱりわけわからんかった。
そこで得られたもんは社内の学術的なことと、自主的に始めた速読による知力の向上であり、売り上げの数字に追われて忙殺される余裕のない日常じゃった。
新人で入ってきた人が、だんだん硬直化していき無気力になっていきよる。
それで酒や遊びごとで憂さを晴らすことになっていき、そのくり返しになって進歩しなくなる。
辞められてよかったんじゃけど、一般人からしたらなんであんな大企業辞めたん、もったいないとか言われる。
いや、大企業じゃけえ能力が育たず希望が見出せんけえ、もったいなくも何ともない。
そこよりは、今のとこの方がマシなんよ。
しかし、ある程度すると新鮮な学びが減っていきよる。
私は外国語会話に活路を見出し、顧客とのやり取りで会得していった。
英会話も、通いで正式のやるとなるとウン十万かかる。
しかし、雑多な言語をいくつもとなると、それを正式に習うとして通いの場合には数百万になるじゃろう。
そうした意味で、職場そのもので語学の鍛錬したことで、それに近い価値を引き出したことになる。
農業でメドがつきつつあり、外国人がおらん部署に左遷されたことで、新鮮な学びの機会が失せてもうた。
このまま戻ることがなければ、独立するに際してバイトで残る価値はない。
残って欲しいなら、それなりのとこに異動させろってことなんよね。
生活の保証さえあれば、旨味のない職場など必要ない。
社内の誰かに義理立てする必要性もない。
そこらへんのことはエゴを通すべきじゃし、通す権利がある。
本社人事部の退職希望者引き止め担当が来た時に、こちらの言うことを全然情報共有せず、理不尽な異動に関して抗議してもシカト。
先日改めて面談に来たんじゃけど、独立決定時に希望の部署でなければソッコー辞めたるって言い放ったった。
あんな仕事せんやつになら、なおさら義理立て無用で、むしろ義理人情を蹴倒して通った方がええわ。
能力開発のためには、新鮮な学びの場が必須になる。
単調で学びが薄い環境では意味がなく、ある事象を手繰り寄せることで学びになるなら、そこに我を通した方がええ。
昇進しないことにも徹底した。
職場で旨味を吸い取れたものが、次の道が定まってその旨味がなくなるともはやおる価値はない。
人生は、得難い経験や学びをしたもん勝ちなんよ。
毎日がマンネリで何も得ることのないくり返しなら、何十年やろうと同じことじゃ。
死ぬまで学びや情報発信をくり返してこそ、本当の意味での人生じゃと思う。
死んだ後は死んだ後で、あの世でも仕事がある。
生まれる前の世界において、より高い能力や悟りを求めて地上に出るように計画する。
会社組織のことなど、ほんの一時のこと。
通過点にしか過ぎないとこを、永住の地と思うちゃいけん。
そこでは犯罪にならんことで、自己の能力開発のためには多少のことは押し通すべきなんよ。