武漢肺炎コロナウイルスの感染が広がる中、カルト教団Kの教祖が法力でそれを全滅させられると言うた。
信仰免疫がつくんで、講演会に来て治せとか。
しかし、治るはずのセミナーや講演会を中止したりコロナ撲滅祈願をやめたりしとる。
おかしなことをするのう。
本当に治せるんなら、患者呼んで治しゃええだけなんよ。
それができないんで、引っ込めた。
知り合いの盲信者にコロナ殺せる力あるか、再び問うてみた。
すると、そういう御利益ばかりを求める姿勢はよくないとお叱りの声。
いやいや御利益なんてないけえ、できもしないことを言うとんのやめろって思うとるって言うたった。
グウの音も出ない。
御利益信仰にすらなれない、詐欺信仰の悲しさよ。
彼女は福島原発事故も安全て言うており、政府が避難させんけえ大丈夫と。
コロナのことも、WH×の言う通りとかいう話。
ふむふむ、なるほど見えてきた。
結局公共のもんが100%正しいいう思考のもとに、世界や国や宗教が個人を救うてくれるって思うとるのが根底にあるんよ。
福島原発事故の時、政府のお偉いさんが何と言うたか。
直ちに健康に影響の出るレベルではない。
この発言どうか?
そう、まさにその通り正しい。
しかし、続きがある。
ただし、そのダメージがいつ何時どんな病気になって襲うて来よるかわからんいうことを言うとらん。
ここの部分がミソであり、肝心な部分なんよ。
これを言わんもんの、どこを信用せえ言うんじゃ?
国際的な機関こそ、秘密結社とかが入り込んで利権がらみ。
それを信用できるマインド、そういうダブルの盲信構造があって出来上がっとる。
そうなると、宗教そのものの矛盾をつくよりそういう公共のもんの完璧性を否定する方向からの方が、かえって近道なのかも。
公共のもん、いろいろあるのう。
学校の先生なんかも、ある意味聖域いうか信仰の世界に近いもんがある。
それで言うと教師で極悪の父の存在とかを幼少期から見ておったことで、聖域と見えるとこも必ずしも聖域じゃないことを私は知っとった。
カルト教団Kの教祖に関しても、初期にすごいことを言うとったことから、教えが停滞しとった時期も動き出すのを待っておった。
スキャンダルが噴出するも本人が否定しよるけえ、それを尊重してさらに待った。
しかし、世間的にわかる形でスキャンダルが真実とわかると、今度は話が変わってきよる。
エロスキャンダルが世間的にわかること、それは愛人はおらんらとか言うておりながら嫁を捨てて愛人と再婚したこと。
スキャンダルが真実であったことは、何か意味があって動かないいうことではなく、何の策も何の力もなかったことを示しとるんよ。
これに対して、最近知り合うたエレハラの被害者に関して共通しとることが、公共のもんを全く信用しとらんいうことなんよ。
そらそうよね、公共のもんに訴えたところで取り合ってもらえんけえね。
正義として見えしもんが、必ずしもそうでもない。
それを知らん人は知らぬが仏であり、お花畑におるんよ。
この詐欺信仰を信用できる盲信マインドが、ダマすもんとダマされるもんの需要と供給を作り出しとるんよね。
盲信構造の核心に迫れたことが、今回の収穫のように思えます。