さて私自身の危機の経験は、なかなか味わうことのできんヤバいもんではあるんじゃけど、そこからすると他人と入れ替わることでその問題を解けるんじゃないかって思える事例って結構あるんよね。
そういうことで、母ゾロの人生でシミュレーションしてみましょう。
お見合いで理想に燃えて嫁入りした母ゾロ、しかしそこにはいわく言い難い嘘と暴力の支配する地獄じゃった。
父の気分次第でボコボコにシゴウされ、そのひどさはすぐ下の弟が生まれるまで続いた。
勤めから帰ってきてやられ、顔はアザだらけで睡眠もマトモにとれん。
痛めつけられ疲労困憊して翌日出勤することが、しばらく常態化した。
さすがにもてんと思うたんか、すぐ下の弟が生まれてまもなく私と弟を連れて実家に逃げ帰った。
さて、その後をどうすべきじゃったのかを考えてみたい。
私が母ゾロなら、そのまま実家で暮らしたと思う。
生活や仕事に支障が出るようじゃけえ、逃げた。
成人した人の性格は、そうそう変わらない。
父のとこに戻った母ゾロが、その後に味わう苦しみを考えた時に、その判断が間違いじゃったいうことは火を見るよりも明らかなんよ。
子供までおっての話じゃけえ、難しいことにはなるんじゃけど、子供たちへの悪影響を考えても、やはり父のとこに戻るべきじゃなかったのう。
母ゾロがずっと実家に逃げとったとして、末の弟は生まれんかったものの、私とすぐ下の弟は平和に楽しく過ごして平凡に育ったことじゃろう。
私が波動のパワーを持つこともなく、その後のことは全く変わって、それによって福島原発事故でも関東から逃げられず、終わっとったとも思う。
そういう意味では母ゾロの判断の狂いが私を救い、そのことによって救われた人もおる。
ただ母ゾロ個人として考えた時に、あんな環境は逃げ出して当然じゃったと思うし、それが天命じゃったと思う。
母ゾロのその後の苦しみは、個人的な天命に反したことによる反作用であり、その判断がほめられるべきもんではなかったことを示しとるんよね。
それを計算に入れての私の人生計画じゃったとも言えるんじゃけど、やはり母ゾロ個人への負荷は相当なもんじゃった。
当時のことを母ゾロが回想して曰く、少々つらい状況に身を置くことがええと思うとったいう話。
意味もなくつらい状況におり続けることは、間違いなんよ。
次回の人生では、おそらく母ゾロは同じ間違いはしないじゃろう。