六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

東日本大震災10年、それで大きく変わった生活の内容。農家に変身して、災害対応力が大幅にアップした。

東日本大震災から10年経ち、サラリーマンから農家へと変身してしもうた。

 

災害対応力が大幅にアップし、いろんな面での備えが充実した。

 

あの時点で絶望感を味わったことで、会社が信用できんようになり、食糧自給を含めて災害対応力についてかなり考えさせられた。

 

東京で食糧がストップし、たまたま備蓄してあったラーメンでしのぐことができた。

 

インフラの脆弱さも思い知って、姫路に逃げてきたものの見渡す限りの原野を相手に途方にくれた。

 

原発事故もあって西への移転を決めたんじゃけど、被曝で友人を亡くし債務超過の状態じゃったけえ、思い切り泣きが入った。

 

しかし、大阪の職場で外国人相手に活躍する日々が続き、転勤がなかったことが幸いして農業の作付けや研究に没頭できた。

 

カイアポの連作成功と大量生産体制が整うた今、信用できなくなった上に私を僻地へ左遷した会社をタタキ捨てて独立に踏み切った。

 

カイアポだけでと思うとるとこ、トウネズミモチの追い風が加わり、退職してからの激変に戸惑いながら、希望が持てる状況にただただ感謝です。

 

10年前のあの日どうしとったかって思い出すと、新大久保の多国籍タウンで、メチャクチャな人種のるつぼで多言語を操りバングラやネパール人たちの人気者になっとった。

 

中国語はまだできず、それはバイトの中国人にお任せで、中国語以外を駆使してとにかく面白いように多国籍の人らの心を鷲掴みにしとった。

 

そんな状況をニタニタ見ながら、中国人の唐さんが愛人になりたいとか言うてきて、変に嬉しくなっとった。

 

西への移転で何も進展せずに終わったんじゃけど、今にして思うと手を出さずに本当によかったと思える。

 

下手に中国人女性と深い関係になって子供とかまでできとったと仮定すると、このご時世ではゾッとするんよ。

 

きれいなコじゃったけえ、惜しいいう感情もなくはないんじゃけど、いやいや人間は恋愛や性欲のためにそれを最優先にして生きるべきじゃないんよ。

 

まあ状況がそうなったいうことも、天の配剤とでも言えるんよ。

 

姫路では大阪の職場で、新たに中国語とタイ語がそれなりにしゃべれるようになり、農業も緑豆から始まってそれなりにレパートリーを増やしていった。

 

神戸の職場への異動が職場での曲がり角になり、大阪で上司じゃったOさんが再び上司になって、縁がある人じゃとは思うたんじゃけど、周囲に迷惑をかける傾向性に対して吊るし上げたこともあった。

 

それと共に、彼のような中間管理職で固まってもうた人のことを深く考えさせられるようにもなった。

 

そこいくと、ずっとヒラのまま研究を続けながら、柔軟性を保ち続けられたことを本当に幸いじゃと思う。

 

債務超過じゃったことも、東京オリンピック特需でローン組んどった銀座のマンションが高騰して家を持てて、さらに作業用の家まで持てた。

 

サラリーマンやっとったことでローンが組めて一時債務超過になったり、詐欺師にお金をダマシ取られてその組織を壊滅させたりと、貴重な経験が積めてよかったと思う。

 

今ある設備は、詐欺師に取られたよりもさらにおつりが来るぐらいのもの。

 

詐欺師へのシゴウなんかも、なかなかできる体験じゃない。

 

目まぐるしくクルクル変わったここ10年ちょっとは、ほんまありがたいことじゃったのう。

 

東日本の残留組をなんとか西へ逃がしたいいうこともあるんじゃけど、なかなかままならんねぇ。

 

状況に関係なく研究し続けたことが、今の状況を作ったとも言える。

 

東日本大震災の前はコロナもなく、原発事故もなかった。

 

社会不安は増大したんじゃけど、なぜか私は明るいことを思える。

 

そのことに感謝感謝です。