竹には節があり、それによって丈夫さがあって折れにくい。
ただ、その節を形成することは、相当大変らしいんよ。
人生においても苦難困難を乗り越えた時に、それまでとはだいぶ考え方や雰囲気が変わったりする。
そこに、竹で言う節ができて人間が熟成するんよね。
ヤキが入るとも言えるこうした苦難困難の突破は、その後の人生に大きな影響を与えるんよね。
私の人生も前半生の相当な苦しみの果てに、会得した数々の技があったりする。
技ではないものとしては、それなりの心の糧があり、それは人生で大いに役立った。
その人生の節とも言うものを、他人にコピペできるかを今模索しとるんじゃけど、完全なコピーはできんじゃろう。
しかし、ある程度の割合なら継承は可能じゃと思うとる。
謀略を会得したいとか言うて、それなりに騒いどった前やんが、そのために私の実家の話を聞いたところかなりのショックを受けた。
さらにここ最近の大学時代のエピソードを知ったことで、またも相当ショックを受けてしもうた。
どちらにしても、並の環境ではない。
その圧倒的な苦難困難と絶望感の前に、到底自分では無理なことを実感し、さすがに言葉を失った。
同じ局面に立たされたとして、果たしてどうか?
いいや、それ全部は無理。
しかし、局面ごとに分割すればあるいは解ける問題もあるじゃろう。
私からするとダメージがデカいのは実家での方で、金沢の地獄では逆に回復してしもうた。
地獄の一丁目か三丁目の違いでも、明らかに金沢の度合いの方がマシじゃったことがわかる。
それで、局面ごとにシミュレーションしてもらう感じになる。
金沢の環境全部も、これまた全体はまず無理。
しかし、細分化していくとそれなりにああするこうするが見えてくる。
大学時代の環境を見たことで具体性が増し、その中で想定することがある程度できたような感じかのう。
山奥からバイト先まで通うこと、学業と両立させること。
気功の修行を続けること、雪の多い環境と戦うこと。
まあ雪に関しては、前やんは雪国におるけえやりやすかろう。
ともあれ、私は私なりに答えを出して乗り越えた環境。
確実に節は作り、前後では考えや行動が変わった。
前やんもあまりにとてつもないテーマを与えられ、自分では想定できない内容に四苦八苦しつつも、なかなか出ない答えを出そうともがく。
肉体的な苦しみではないものの、心の上での精神面での苦しみはかなり大きい。
そうじゃ苦しめ、しかしそれは苦しみのための苦しみじゃないぞ。
その苦しんだ分が昇華されれば、それが本人の血肉になる。
きれいにコピペはできんじゃろうけど、形を変えてコピペできる。
やはりある程度心が近く、理解力あってのもの。
これによって、また考えの幅が深まることと思うんよ。