若い頃に思うたことは、同年代と話をしとってつまらんかったことなんよね。
そういう意味で、大学の頃は変わった人と関わることが多かった。
同級生の変わり者、上級生、留年生、異業種の人たち。
その方が得られる情報が違うし、特に異業種つまりバイト先での熟練者なんかには、それ相応のとっておきがあったりする。
同年代の同じような人たちは、経験値が似たようなもんしかないんよ。
それがある程度飽和状態になると、上級生と話をしてみる。
そうすると、それなりに同級生よりはさすがに年の功がある。
しかし、大学をそんな感じで頑張って同年代の中では経験値が大きくなると、少しぐらい歳上ぐらいでは物足りなさを感じるようになり、中高年と話をすることが多いなった。
若い人と話しても、まず合わんのよ。
それがもう、二十代の頃からかのう。
ただ五十代の今になると、同年代もやはり五十代になっとるんよね。
そうなると、さすがに年の功があるのもそうなんじゃけど、その人固有のことを積み重ねとることがある。
町内会のお祭りでそうした人たちと話をすると、全く違う環境でそれだけの時間生きてきた人らの経験は、それなりに新鮮に感じた。
早い人は、もう孫までおる人までおる。
平凡ながらそれなりに年季の入ったもんは、相応のもんがある。
積み重ねた能力や理論や技なんかは置いといて、私にはないもんを持った人がかなりおる。
どれも似通うたものではあるものの、ビミョーに違う。
ただ、私ではあり得ないもんがある。
それがええか悪いかは別として、刺激になっとることは事実。
そうこうしとるうちに、私の培ったもんと融合すればええもんができるような人も出るかもしれん。
そういう年代での変わり者で、使える人を見出せればええんよね。
その人単独ではダメでも、私の技を得られることでお互い相乗するような、そんな人じゃのう。
将棋の駒としては、若い頃には歩兵ぐらいの力しかなかったとしても、年の功で銀将や金将ぐらいになっとる人がおるんよね。
さすがに飛車や角行までになっとる人は少ないものの、金や銀になっとる人はそこそこおる。
そういう人で、相性のええ人を探し出せれば、相応にええ仕事になるじゃろう。