高校の時にはさほど感じられんかった、唯物論者の思考。
しかし、大学で薬学部へ進学したことによって、その洗礼をモロに受けることになった。
科学を扱う学部において、そこは当然唯物論が支配するテリトリーであり、そこで小周天修行をする私は異端児であり、馴染むことは難しかった。
科学の学部は、目に見えた証明を要求する世界でもあり、数値の世界でもあった。
実習と言われる実験のカリキュラムは、滴定から微生物の培養、動物実験、クロマトグラフィーによる解析など。
さらには、そのデータ収集と計算や考察などがあった。
そこに長くおることによって、そうした環境の条件に染まっていき、やがて固まっていきよる。
精神性や人体のエネルギーを説明する科目はなく、物質面の科学しかない。
大学は、それまでの高校以下の学校と同じく、入った時と卒業の時では、能力も判断もだいぶ入れ替わりよる。
その大学が、一般の大学ならそれほどでもないにせよ、唯物論の支配する世界なら、だいぶ染まって出てくる可能性はかなり上がる。
染まろうと思うとるわけではないにせよ、染まっていきよる。
その中で、唯物論に染まらんやつは、ある意味おかしいってなるわのう。
そういう同調圧力もかかって、なおさら染まりやすい。
精神性を保ちつつ、科学を会得することがいかに至難かがわかるんよね。
精神性を高めるそれだけなら、そういう人はそれなりにおる。
科学を会得するだけの人も、それなりにおる。
しかし、科学を会得しつつ精神性もいう人は、そこそこ珍しい。
やはり、最終的には本人の責任ながら、学部によってはその環境にも少なからずシステム上の問題はあるように思うんよね。