六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

一般人の世界と霊障の世界、住む世界が違うと考え方も違う。霊障の世界は、一般人にはわからない。

私が修行するきっかけになったのは、生まれた直後に落とされた霊障地獄。

 

精神異常の周波数を持つ父が作る彫刻は、その周波数を持つ産業廃棄物なんよ。

 

美術の世界では芸術的に優れとるかの基準はあっても、天国的に素晴らしいか地獄的に素晴らしいかの違いはわからない。

 

父やセシウムカルトのn崎なんかは、地獄的に素晴らしい芸術家いうことになる。

 

父のアトリエには、時系列ごとに作品が作られたまっていきよる。

 

それらがうず高く重なることで、アトリエが大きな悪の魔法陣になり、同じ周波数の悪霊が巣食うことになる。

 

赤ん坊の頃からずっと夜な夜なその悪霊に苦しめられたんじゃけど、抵抗力がついたのか小学校ぐらいにはあまり気にならんようになった。

 

しかし、それでも真っ暗なアトリエを一人で通る時とか、一人で家におる時のアトリエは非常に怖かったんよね。

 

両親の虐待と、隣に住む父方の祖父母が加勢したこともあり、なおさらひどい環境になった。

 

弱り目に祟り目で、弱った私は有名私立に通うもイジメに遭い落ちこぼれて、さらに虐待が加速した。

 

両親と祖父母が言いふらす私の悪口で、親戚もほとんど敵に回った。

 

そういう辛い特殊事情は人に話しても信用されず、なおさら変な目で見られた。

 

それで中高一貫校で6年クラスが同じメンバーの中、助け船が出た。

 

高校で友人じゃったSが、小周天をまず勧めてくれた。

 

あいつも、私の背景など知らずにボロボロの状況の私を見かねてのことじゃった。

 

高校3年の時に初めて小周天を成功させた時に、彼は俺は上手くできんいうことをこぼしとった。

 

やがて彼は崇拝しとったG団体のT会長から、カルト教団Kへの方向へ進み、私にもカルト教団Kの本を貸してくれた。

 

私に起きた霊現象や家庭の地獄をいろいろ振り返る中で、小周天をもとにした体験や初期のカルト教団Kの内容は、解決への糸口を探るためのものとして貴重じゃった。

 

そうしたものから、私個人の苦しみにはだいぶ整理がついてきた。

 

ただ、カルト教団Kの人に私の過去の苦しみを理解せえ言うてもそれは無理な話。

 

前述のSがそうであったように、あいつも一般人として抽象論としての宗教に惹かれてハマっただけなんよね。

 

実際にカルト教団Kで活動しろと迫る彼が私に幼少期の辛い話をして、そんな俺でも頑張っとるみたいな説教をした。

 

おい、お前の辛いことって、そんなもんか?それっぽっちかよ、俺なんかなぁ・・・。

 

初めて聞く私の家庭の地獄体験に、返す言葉がなかった。

 

一般の人はそれぞれ自分の育った環境で、その中の考えられる範囲の中で生きている。

 

そこを超えた世界は知らんし、話してもわからん。

 

しかし、似たような状況にあった人はそれなりに通じるものがある。

 

カルトAと関わったことで知り合いになったTさんとは、霊障の世界の面で話が通じる。

 

直接会うたことがないけえ、会うた時にお互い知らんかったもんを知ることにはなるじゃろう。

 

カルトAの教祖最低最低を精神的にシゴウする経験ができたのは彼のおかげなんじゃけど、私が知らんさらなる霊障の世界があるようで、そのあたりのことが聞きたいのう。

 

自力で虐待や霊障の世界から抜け出せた私と、未だに引きずる彼とでは状況がどう違うのか興味深い。

 

虐待つながりでは、セシウムカルトn崎もその環境ならではの話は通じるものがある。

 

しかしそれで心が鬼になったあいつとならんかった私とでは、その意味合いが違う。

 

闇落ちした芸術家としての父やセシウムカルトn崎、地獄芸術家として素晴らしいはずの彼らも、共通のこととして家庭を破壊して孤独な老後となった。

 

彼らも、芸術の世界では話が通じる面もあるんじゃろう。

 

しかし、他者と協調して生活することは、まずできんのよ。

 

家族全員が見放して孤立してしもうたのは、一緒におると苦しめられるいうことがあるんよね。

 

金銭面とか対外的には立派に見えたところで、家族には精神的圧力や暴力によって自論を通すところがある。

 

セシウムカルトn崎も、二言目には経済的に裕福に暮らさせてやったとか言う。

 

しかし、実家に逃げ帰った嫁さんを力づくで連れ戻し、家に閉じ込めて厚化粧、さらに暴力振るうた挙句女遊びとくれば、いかにお金があったところで地獄でしかない。

 

こういういろんな意味での特殊事情、その環境におらにゃわからん気持ちは、一般人にはわかってもらえんのよ。

 

ただそうは言うても、わかってもらえる人が圧倒的に少ない中、わからん人とつながっても悪くはない。

 

それが、近所の人たちなんよね。

 

もともと他所者じゃった私を、町内会の人らはにこやかに迎え入れてくれた。

 

彼らには悪意もなければ、楽しくみんなと過ごしたいう気持ちだけで、それぞれの環境で生きとる。

 

変わった話をする変な人じゃが、それなりに面白いし悪いやつじゃないって思う人が寄って来ては、親しくなっていく。

 

最初、つっけんどんじゃった人も打ち解けると仲良しになる。

 

難しい話は勿論通じない。

 

しかし同年代の人も、一般人なりに齢を重ねるとそれなりに語れる何かを持っとる。

 

若い頃には同年代がアホに見えることが多くて、中高年の人らばかりと話をした。

 

しかし、同年代が中高年になることによって、人それぞれ限定された範囲の中であっても、学びになるもんを持っとる。

 

その大きい小さいはあるにせよ、齢を重ねた人の話はそれなりに貴重なもんなんよ。

 

遊び人なら遊び人で、地元の楽しみをよう知っとる。

 

学のある人なら、その伸びた方向性によってまた違う学びがある。

 

若い人らも、時代が進んだせいかいろんな新しいツールを使いこなしとる。

 

そういう意味で、学びになることばかりなんよね。

 

一人一人から学ぶことは大きい場合と小さい場合とあるものの、それらを集めていく楽しみもある。

 

見知らぬ土地で新たな友人が増えることは、たとえ通じる話がなくても新たな故郷を得たような感じであり、お祭りを通じて絆は深まったんよね。

 

お祭りでは獅子舞があるんじゃけど、大きさが違うだけで出身地の獅子頭と形は同じなんよ。

 

そういう意味でも、今の場所に呼ばれたような感じなんよね。

 

特殊な事情に関して話ができる人は貴重なものの、さりとてそれが通じん人も、付き合うとそれなりに得るもんもある。

 

切って捨てることは簡単なんじゃけど、それは障りのあるやつから被害受けた時だけにした方がええのう。

 

いろんな世代のいろんな意識の人ら、そこにはいろんなもんが埋まっとる。