カルト教団K教祖長男と会うて思い知らされた、それは修行者と一般人の差なんよ。
逆に波動強化希望してきたNさん、彼が修行者じゃったことで救われた部分がある。
修行者にも霊的修行をやるか宗教的修行をやるかに分かれて、私やNさんなんかは霊的修行者なんよね。
私らのグループも、皆さん霊的修行者なんよね。
しかし、そういう修行者と一般人いう区分け以外に、生産者と消費者いう区分けもある。
最初は誰も消費者なんじゃけど、どこかで生産者として能動的に何かを生み出していけるようになると、それは生産者になっていくんよね。
うちらの仲間内では、前やんなんかは大幅に生産者転換した例になるわのう。
オルゴンMや亡くなったぽんたなんかは、条件がイマイチなんで作れんだけで、やはり生産者って言うことができるんよ。
精神的に高いもんを求めとる修行者であっても、生産者になれん人もおる。
私は創造力がある生産者なんで、いつの間にか無に近いとこから何か作り出しとったりする。
仲間内で生産者と言える人は、ええっ?そんな方法アリなん?て一瞬思うものの、そんとな方法あるんならアレンジこうしたらええんじゃないん?てやるんよね。
突拍子もない新発見はできんものの、その新発見に対してこういう手もあるいう提案をして改良していきよる。
その提案には当たり外れは当選あるものの、トータルで見たら当たりが多いんで、それで私とは相乗するんよね。
しかし修行者であっても生産者じゃない人と組むと、精神的には充足するものの、事態は全く進まんようになる。
そういう意味では例えばアラビア時代の過去世では、結局オルゴンMのグループが私の後継者になっていったいうことなんよね。
家の切り盛りができる実務的な生産者じゃったオルゴンMが仕切ってこそ、その後に続くいろんなことが回っていくんでそうなったいうか、そうならざるを得んようになった。
結局精神面が高くても、生存の面でこなさにゃいけんことをやれんかったら、やれる人に頼るしかなくなるんよ。
創造力のある生産者に、一般の生産者が協力する形になってこそ、初めて発展していく方向になるんよ。
グループの発展において、この生産性が健全に発現していくようにせにゃいけんねぇ。
農業の生産者でも、単にこれまでの方法を踏襲しとるだけの人は本当の意味での生産者とは言わんのよ。
ともあれ、いろいろこれまでにないもんを作ってきたんじゃけど、一人だけでいろいろやることは不可能じゃのう。
いくら一人だけ突出しとったところで、協力者がおらにゃいけんのよ。
しかし、一人でどこまでやれるかを今徹底的に試されとる。