今朝書いた交響曲による邪気抜きで思うのが、つらかった時のことを曲にした時によく抜けたいうことなんよ。
有名私立の進学校に進んだものの、落ちこぼれてイジメに遭うた。
さらにそこから盛り返し、進学できるとこに進学して辛くも逃げきった。
その経過、私の場合は決して順風満帆ではなかった。
高校時代に精一杯頑張って盛り返したとは言え、高校の終わり頃の成績は決して人様に誇れるようなもんじゃなかった。
就職してしばらくは数多くの後悔も残った。
しかし後悔のない進学ができるのは一握りしかおるまい。
その悲喜こもごもの中で磨かれる人は磨かれ、ダメになる人はダメになっていくんよ。
振り返ってみて実りの少ないように見えた中高一貫校なんじゃけど、行っておらんかったら友人を通じて某団体を知ることもなければ、気を練ることも知らんかったじゃろう。
その2つがなければ今の能力は育ち得んかった。
件の某団体も今は総裁の転落堕落で障りが大きくなり、もはや有害なだけ。
綱渡りにも似たその足跡を振り返ると、必要な時期に必要なことが積み重なり、絶妙だった。
進学は単なる失敗と成功を一喜一憂するもんじゃなく、その経過を通してどんな能力を形成するかなんよ。
何浪もしてしつこく第一志望を狙う人もおろう。
しかし不本意ながら第二志望第三志望に進学して、そこでまた第一志望を作る方法もあり、私はその方法で社会に出た。
実家の虐待がひどい中では悠長に浪人して立ち止まってはおれんかったんよ。
能力の形成は学生時代だけじゃない。
学習と鍛練の継続は、年単位では人間を大きく作り替える。
一時期進学上の失敗や成績の伸び悩みを思い煩うたこともあったが、今はもうどうでもええこと。
独自能力形成に邁進して、その基礎に学生時代があったと思うようになった。
悩みの渦中の良し悪しも、10年単位で時間が過ぎればどうでもええこと。
それよりその年月の間に人にできない能力を身につけるべく努力し、なんらかの能力が身につくこと、その集積が人に誇れる財産となろう。
学生時代はうたかたの夢、うたかたの幻。
それが平穏でも悪夢であっても、過ぎてみれば1つの足跡。
今後立つ位置がどうなるかが大事なんよ。