六崎太朗の0ヘルツ波動

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ケネディ大統領暗殺から50年、核戦争回避の手腕は過去の文明の核戦争から見ても、大きく評価されよう。

アメリカ22日、ちょうど50年前に暗殺者の銃弾に倒れたジョン・F・ケネディ大統領を、半旗を掲げて追悼した。

若き指導者にもたらされた残忍な死は、核戦争の恐れもあった冷戦下の大国同士のにらみ合いやベトナムの森林での流血に捕らわれていた当時においてさえ、暗黒の転換点として世界の多くの人に衝撃を与えた。

22日は米国各地で大小さまざまの式典が行われ、人々は故ケネディ大統領の崇高な演説と奉仕を呼びかけるカリスマ的な言葉を思い起こした。

オバマ大統領は「今日、我々は(故ケネディ大統領を)追悼し、彼がアメリカの歴史に残した不朽の功績をたたえる」と宣言した。

テキサス州ダラスでは、かつての銃声の瞬間に教会の鐘が鳴り、大勢の人々が黙とうを捧げた。

首都ワシントン郊外のアーリントン国立墓地では、イギリス軍のブラックウォッチ連隊のキルトを着たバグパイプ奏者22人が、50年前の葬儀で捧げた演奏を再演した。

欧州でも追悼が行われ、ドイツではケネディ大統領が「私はベルリン市民だと述べて群衆の喝采を博したベルリン周辺での有名な冷戦演説の地で花輪献呈式が計画された。

このケネディ大統領の功績、私は核戦争を回避したことを大きく評価しとる。

過去の文明で何回かあった全面核戦争、今回もアメリカとソ連で起こりかねなかった。

直前の全面核戦争はムーやアトランティスよりも前、インドとアフリカの2大強国でのミサイルの打ち合いで、全世界が崩壊した。

その痕跡がインドのモヘンジョダロやアフリカ西サハラのタッシリなんよ。

それ以外にも熱変成した地形のある、シナイ半島やトルコのカッパドキアなども、核攻撃の痕跡なんよ。

その後生き残った人達がたどった人生の悲惨さは、想像に難くないんじゃけど、そうさせなかったことはすごい政治手腕よね。

その後ゴルバチョフによるソ連解体により2つの超大国の一角が崩れ、全面核戦争の危機は去ったんじゃけど、今は原発による核汚染が深刻になってしもうた。

世界は1人の力で全部変えることはできない。

しかし大きな影響を与える人はおる。

ケネディ大統領は、そうした人として長らく尊敬を集め続けることじゃろう。