富岡製糸場は、1日8時間労働や夏冬の長期休暇など、明治期の労働環境としては、女性工員にとって世界でもまれなほど恵まれていた。
製糸技術を学んだ女性工員たちは帰郷後、各地で技術を伝えることにも貢献。
こうした環境を、登録の事前審査を行った国際記念物遺跡会議(イコモス)も注目し、勧告に大きく影響したといえそうだ。
女性工員の過酷な労働環境を描いた映画「あゝ野麦峠」(昭和54年製作)などの影響で、戦前の製糸場には暗いイメージがつきまとう。
だが、富岡製糸場の環境は異労働時間は1日約8時間で、週休1日のほか夏冬に各10日間の休暇があり、食費や寮費などは製糸場が負担していたという。
明治26年に民間に払い下げられてからは、労働時間が長くなるなど環境は悪化したが、「女工哀史のような過酷な環境ではなかったようだ」と文化庁関係者。
教育施設も併設され、女性工員たちは辞めた後も、地元の製糸場などで指導的な役割を果たすことが少なくなかったという。
かつて私の地元茨城県石岡市にも製糸工場はあった。
しかし業界の衰退と共になくなった。
過去のそうしたもんを世界遺産にするのはええけど、放射能に汚染されてって感じがしないでもないんじゃけど、どうなんじゃろ?
そんなことやっとる場合じゃないような気がする。