人間の芸術は、人間の知覚出来る範囲内のものなんよ。
視覚ならば可視光線だけ、音も超音波は聞こえない。
動物や昆虫の中には別の視覚や聴覚を持ったやつもおる。
そう考えると、必ずしも人間に知覚出来るものだけが美しいとは限らない。
また、人の発するエネルギーにも、確実にきれい汚いがある。
生存由来の肉体の障りは仕方ないが、心の障りは個人の責任なんよ。
そういう意味では心が美しくあってこそ、それを基に美しい芸術が育つんじゃけど、障りの汚い芸術は神の作った自然界の中では単なる汚物なんよ。
人間に美しく見えても神や他の生き物にはどう見えとるかわからん。
我々に出来ることは知覚出来る範囲内で最大限に良きもの、清浄なるものをつむぎ出すことなんよ。
どんな凡人にも、おぼろ気に他人の心の良し悪しはわかる。
明らかに神の定めた法則のもとの心の良し悪しはある。
そこから外れた者には相応の反作用がある。
ともあれ、原理原則を踏み外したものは淘汰される。
人間を超えた世界には、相応の芸術もあろう。
しかし我々は我々の世界の中でより良きものを目指すのが正しい。
生きている人間は限定的な存在である。
限定的な中で神への無限を目指すべきである。
障りがある芸術は芸術ではない。
それを肝に銘じよう。