茨城は地元ながら、ほんま見事と言うてええほど、ろくな思い出がなかった。
イヤなやつ、ろくでもないやつも多く、ええ人は少なかった。
実家は言うに及ばず、インチキ放射能測定n崎、学校の同期生の多くもそうじゃ。
なんじゃろね?
地元の街だけかと思いきや、水戸での学生時代もそうじゃった。
東北や茨城にはなんか悪いもんがあるんよ。
その元凶を探ってみたい。
東北では、かつて蝦夷のアテルイが坂上田村麻呂に、騙し討ちに近い形でやられ、安倍頼時を頭にした安倍一族も源頼義にやられた。
茨城から東北にかけては、蝦夷、つまりアイヌ人が北に追いやられ、迫害され、滅ぼされた歴史がある。
茨城北部には勿来(なこそ)ってとこがある。
勿来の関があったとこなんよ。
勿来の意味は来るんじゃねぇって意味。
誰に来るなって言うたか、それは蝦夷アイヌに対してなんよ。
そんで関まで作って封鎖した。
さらに多賀城を作って蝦夷を北に追いやり支配した。
坂上田村麻呂は、征夷大将軍。
征夷大将軍と言えば、幕府のトップのイメージが強いんじゃけど、もともとの意味は蝦夷をやっつける総大将。
坂上田村麻呂や源頼義なんかのやり口を見ると、怨みを買って当然。
アイヌって言えば、今はほぼ北海道。
しかし、昔は少なくとも勿来の辺りにはおった。
なぜおらんようになったか?
全滅ではないにせよ、それに近く、生き残った人達も散り散りになって和人に混じって混血して消えていった。
アイヌ人じゃなくても、彫りの深い顔の人はおるんじゃけど、それはアイヌ人の血を引いとると言えるじゃろう。
今でもアイヌには差別意識があるんじゃけど、そんなもんはなくすべきじゃ。
東北茨城の悪い雰囲気は、大きくはアイヌの怨念。
地元ではそういうのに狂わされた人が多かったいうことなんよ。
尋常じゃないけえね。
私はひどい目に遭いながらも、実家をボコボコにやっつけた。
一矢報いた感がしないでもない。
亡くなった大叔父さんも並じゃねぇって言うとった。
大叔父さんの敵討ちもできた。
ともあれ、マイナスの連鎖が作ってきた歴史があった。
このあたりは、大河ドラマ『炎立つ』が描写しております。