悪を食い止めることは人類の至上命題なんよ。
私の悪に対する情け容赦ない叩きっぷりは定評のあるところじゃし、ベータ人ならではのえげつなさもある。
そのえげつなさに対して、道徳心や仏心、義に篤いオルゴンの人らからたまに、もうそれぐらいにしといたらって言われることがある。
しかし、悪には老若男女がない。
たとえ相手が虫の息でも、全力で叩き続けるにしくはなしなんよ。
過去の私の甘さが招いた不運逆運、それは悪を半端に許したことによる反作用なんよ。
極悪の父に対し、親じゃけえそこまでしたらいう気持ちがあった。
それで叩き方が半端になった。
それがズルズル状況を悪化させた。
意を決して父の作品ほとんどを完膚なきまでにシゴウしたら、状況は一変。
これまでの敵対者の多くが味方になった。
仏心で停めていた大破壊をやった途端に事態は変わった。
福島原発事故で叩きに行けなくなっただけで、作品大破壊の後も虫の息の父は叩き続けたんじゃけど、それはやってよかったんよ。
あの時、遅まきながらでもやっといて正解じゃったんよ。
やらんかったらチャンスを逸しとった。
その結果、さらなる不幸があったじゃろう。
今、小競り合いが続いとる障りもんがちょぼちょぼおるんじゃけど、全部シゴウしたる。
悪に関しては、相手がどんだけ困っても構わんぐらいの気持ちでやった方がええね。
見かけ、弱い者いじめに見えても、野蛮に見えても、悪を叩き続けることは神の法則に合致しとるけえ、目先困難があってもトータルで見ると御利益がある。
オルゴンの仏心や道徳心は嫌いではないんじゃけど、悪を追い詰めずに逃がし、裏切られて貧乏くじを引くのを見るのが耐えられん。
相手が悪でこちらに正義があるのなら、そこに信念があるのなら、後顧の憂いを無くすため、撃つべし撃つべし!
障りもんを叩くことは、逆回転しとるもんを止めること。
神の法則の逆回転、それを止めることは、結果神を助けることになる。
神の法則に合致するんよ。
さて、悪を叩くための牙や爪を磨ぐか。