芸術家民族で、障りがある場合とない場合の違いを述べましょうか。
さて、身近におった中で障りがないグループをみてみると、まず磯貝さんと菊池さんの2人は福島原発事故の放射能で亡くなり、あとはTさんの日本舞踊の師匠のKさんがおります。
見かけオバハンみたいじゃった磯貝さんと、話し方がオバハンみたいなKさん。
まあ3人ともマヌで女性民族じゃけえ、そこらへんはしゃ~ない。
ただ、彼らに共通しとるのは、正直で嘘をつかないこと。
各々こだわりと意地があるのも、職業柄やむなしかな。
あと障りがあるグループは、私の父とインチキ放射能手抜き測定野郎、n崎n詐欺。
父は本家長男の立場を悪用し、嘘の悪口を言いふらして暴力三昧、しかもそれも嘘で隠蔽。
n崎も私に友達でいてほしいと言いながら、出会った頃から知り合いに悪口言いたい放題。
相手によって言い方を使い分け、都合のええように取り繕うのが2人とも上手い。
目先の取り繕いはピカ一じゃないんかねぇ。
なんでこうなるかはともかく、障りなしの人らは、まず自分を飾らない。
飾ったところで仕方ないし、そんなとこに力使うより、本業に専念した方がええと思うとる。
障りのあるやつらは、能力のなさを自覚しとるせいなのか、自分の立場をええ状態に保っておきたいんよ。
そのために自分を飾るのみならず、嘘や意味のない中傷で周囲を貶める。
n崎が知り合いに悪口を言うのも、六崎なんかより自分の方がええぞいうことを印象づけるため。
しかし、私の人間性を知る人に対しての私の中傷は、信用の失墜いう結果になってはね返る。
言えば言うだけバカじゃと思われて終わり。
嘘はバレるまではそれなりの力を持つが、バレてしまえばその反動が当然来る。
芸術家の障り持ちをたたく時には、時系列ごとの嘘を挙げつらって追及することもダメージをでかくする。
嘘をつく習性は直らない。
放っておいても嘘でいっぱいになる。
n崎が私に全く反論できんのも、言うとることが嘘に基づいとるけえね。
猿を食べる人らは、紐つきの椰子の実をくり貫き、そこにエサを入れる。
人が行くと猿はエサを握りしめ、椰子の実から手が抜けんようになり捕まる。
猿の習性と嘘つきの習性、似とるかも