六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

救世運動を目指してきたのが団塊の世代、しかし私を目指してきた人らは、それより限定的。

この時代の救世運動への参加希望者は、それこそ大量におった。

その最たるもんが団塊の世代

物質的な豊かさと、救世主が出るんで何とかなるじゃろういうことで大量に出た。

ほぼぶら下がり族。

戦後間もなくより昭和50年代まで、日本は生まれ変わりの地として人気になった。

救世運動の前段階としてのGLAの高橋信次会長による露払いが終わり、数年の空白期間の後、某教団の教祖が動き始めた。

しかし、まともに機能したのが昭和63年まで。

結婚してから仕事の質が急激に低下した。

その後、色欲でグダグダになる。

しかし、初期において学びのテキストとしてええもんは残した。

あの運動自体は、教学において人々に法の種を蒔くことが目的じゃったけえ、言わば万人向け。

教えを受けた人が、その知識を持ってあの世に帰り、次の修行をするのが大きな流れとして予定されとった。

ただ、この世で正常に動いたのが昭和63年までとすると、もっと前、昭和50年代後半にはちょっとあやしいぞいうのがあったんじゃないんかねぇ。

教祖はもともと高級霊とはいえ、金星人。

やはり金星人なんかは、ハナから信用して使うべきじゃなかったんかもしれん。

なんつうもろい民族じゃ。

まあそんで雲行きがあやしい中、別動隊がいくつかできたと思う。

生まれる前の世界で有志が集められ、あちらとこの世で教祖がダメになった時の対策がとられた。

ルネッサンスなんかは救世運動失敗により、そこに関わった人らの心の整合性を図るためのもん。

しかし巫女さん死去で、仕事はほぼ終了。

私はなんとか無事じゃけえ、とりあえず科学やサイキックなど、他の要素も絡めたことで防衛線を張ることにした。

私は宗教みたいに誰でも彼でもいうのは無理じゃと思うとるけえ、助けて助かる人しか相手にせんのじゃ。

言うてもムダな人はおるし、そこで遊ぶわけにはいかんのじゃ。

じゃけえ、おのずと人間が限定されてきよる。

万人向けじゃないのう。

ともあれ、昭和63年から平成元年のあの微妙な時期、教祖の転落による入れ替え戦があったことなど露知らず、その後ろくでもないことの連続に絶望と落胆をくり返してきたんよ。

私を追うてきた人らよ、今の世の中厳しいぞ