東日本大震災の被害甚大な中、福島原発が暴走して爆発。
放射能の雲、放射性プルームが首都圏を襲うた。
前日まで仕事で、じっと風向きを見守りながら、迎えた3月15日。
か、風向きが、き、北風に~っ!!!
う、うわ~っ、こ、これはヤバい~っ!!!
に、逃げえ~っ!!!
こういう非常時には、大事な人に片っ端から電話して逃げるよう指示。
私も避難先を急いで選定。
名古屋にした。
これが絶妙じゃった。
ケチって静岡とかにしとったら、プルームを吸うとったかもしれんし、東日本大震災のでかい余震に直撃されとった。
あの余震は名古屋でもかなり揺れた。
ともあれ午後3時半頃、意を決して脱出。
夢中で逃げた。
あの時は、在来線が熱海と富士の間で運休。
東名高速も封鎖。
あのまま事故が拡大するようなら、首都圏を完全に封鎖する意図が見えた。
実際に、あの時は4号機の使用済み燃料プールが、首の皮一枚でつながった状態で、あれが崩れて水が抜けとったら、横浜ぐらいまでアウトじゃった。
私はかろうじて動いとった新幹線で逃げた。
ぎゅうぎゅう詰めかと思い、こだま号に乗った。
しかし、ガラガラで拍子抜けした。
危機感ない人ばかりで助かった。
あれでパニックになりよったらえらいこっちゃ。
それから名古屋のホテルに着き、地獄の数日間を過ごすことになる。
延泊延泊で精神的にきつかった。
あんな思いはもう懲り懲りじゃ。
ヘリコプターが原子炉上空から海水を散布する様子はスリリングじゃった。
よし、やった!水蒸気が出た、あ、次、失敗か!
こんなことが起こるとは、これまでの人生何だったんじゃ?って思うた。
今でもあの時の判断はベストじゃったと評価できる。
あの時逃げんかった人らは、実際にどんだけ被曝したかわからんのよ。
ヨウ素主体のプルーム、あるいはヨウ化セシウム。
ヨウ素の半減期は8日と短く、その間にセシウムなんかより強力な放射線を出して無くなる。
こんなもんがどこでどんな病気を作るかわからん。
福島では甲状腺癌が多発、懸念された通りのことに。
まだまだこれからが真の地獄。
逃げられた幸運を思わずにはおれん