六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

放射性プルーム、東京大襲来!!!緩慢な首都圏封鎖の中の脱出劇、あれから5年。

東日本大震災の被害甚大な中、福島原発が暴走して爆発。

放射能の雲、放射性プルームが首都圏を襲うた。

前日まで仕事で、じっと風向きを見守りながら、迎えた3月15日。

か、風向きが、き、北風に~っ!!!

う、うわ~っ、こ、これはヤバい~っ!!!

に、逃げえ~っ!!!

こういう非常時には、大事な人に片っ端から電話して逃げるよう指示。

私も避難先を急いで選定。

名古屋にした。

これが絶妙じゃった。

ケチって静岡とかにしとったら、プルームを吸うとったかもしれんし、東日本大震災のでかい余震に直撃されとった。

あの余震は名古屋でもかなり揺れた。

ともあれ午後3時半頃、意を決して脱出。

夢中で逃げた。

あの時は、在来線が熱海と富士の間で運休。

東名高速も封鎖。

あのまま事故が拡大するようなら、首都圏を完全に封鎖する意図が見えた。

実際に、あの時は4号機の使用済み燃料プールが、首の皮一枚でつながった状態で、あれが崩れて水が抜けとったら、横浜ぐらいまでアウトじゃった。

私はかろうじて動いとった新幹線で逃げた。

ぎゅうぎゅう詰めかと思い、こだま号に乗った。

しかし、ガラガラで拍子抜けした。

危機感ない人ばかりで助かった。

あれでパニックになりよったらえらいこっちゃ。

それから名古屋のホテルに着き、地獄の数日間を過ごすことになる。

延泊延泊で精神的にきつかった。

あんな思いはもう懲り懲りじゃ。

ヘリコプターが原子炉上空から海水を散布する様子はスリリングじゃった。

よし、やった!水蒸気が出た、あ、次、失敗か!

こんなことが起こるとは、これまでの人生何だったんじゃ?って思うた。

今でもあの時の判断はベストじゃったと評価できる。

あの時逃げんかった人らは、実際にどんだけ被曝したかわからんのよ。

ヨウ素主体のプルーム、あるいはヨウ化セシウム

ヨウ素半減期は8日と短く、その間にセシウムなんかより強力な放射線を出して無くなる。

こんなもんがどこでどんな病気を作るかわからん。

福島では甲状腺癌が多発、懸念された通りのことに。

まだまだこれからが真の地獄。

逃げられた幸運を思わずにはおれん