食糧自給の長期的対策として、木の実があります。
一昨年ぐらいからアーモンドや栗などを種蒔きし、今年は銀杏を種蒔きしました。
誰も行かない荒れ地に蒔いたんじゃけど、去年までのは目印をつけとらんかったけえ、育っとるかは数年経たんとわからん。
そこらへん反省して、今年の銀杏は、わかる場所に蒔きました。
それで、木の実で米の代わりに食べられて、収穫量も安定しよるもんとしていろいろ考えると、最強は栗なんよ。
桃栗3年言うように3年で実が成り、落葉広葉樹じゃけえ、実の量も豊富。
木の実じゃけえ、天候に左右されずに育ち、米やイモに代わる主食として申し分ない。
荒れ放題の誰も管理しとらん土地があれば、そこに蒔いて育てとけば、10年後には十分な量の栗がとれよう。
この栗が主食の食生活文化は縄文時代のもんで、その後の稲作文化の弥生時代よりもはるかに長く続いた。
セイタカアワダチソウの原野に栗を育てれば、育って大木になった栗林は草ぼうぼうになることもなく、落葉は腐葉土として他の土地を肥やすことにも使えよう。
縄文時代もそうじゃが、長続きしたもんは理に叶っとるはずじゃけえ、そういうもんは活用すべきじゃ。
目先の食糧自給でええもんはイモ類なんじゃけど、毎年作付けの手間が要る。
しかし栗など木の実は、一度作付けすれば毎年の収穫が約束される。
栗で安定した量がまかなえて、なおかつイモや豆があれば、それこそかなりええ感じになるんじゃないんかねぇ。
毎年の作付けのことを考えるのも大事なんじゃけど、10年単位での作付けも考えるべきじゃのう。
ほったらかしの栗の木があれば、秋にそこから栗の実を拾い、春に荒れ地に蒔くをくり返すべきじゃのう。
ただ、問題は野生の山栗を除いて栽培品種は、違う品種を混ぜ植えにせにゃ実が成らんようです。
野生の山栗を蒔くのもええんじゃけど、こちらは実が小さい。
天津甘栗ぐらいの大きさなんよ。
あとは、ほったらかしの栗の木の場所を覚えとくのもええでしょう。
毎年そこからとってこれるけえね。
ともあれ、木は大地に根を張り、地中深くからミネラルを吸い上げる。
それが落葉や実となり、いろいろな生き物を養う。
巨木ともなれば、実は夥しい数になるじゃろう。