原発事故によって仲間内で死人が出、危機感を感じて東京を脱出して5年。
東京には思い入れもあったんで、まだまだ住んでいたかった。
しかし、波動強化した仲間まで死ぬとはただ事ではない。
発病の個人差はあるにせよ、関東におる限りリスクはゼロにはならん。
原発事故当時に放射性プルームをほとんど避けた私は、さらにセシウムが増える前に決断した。
東京では人が多く、それなりに華やかではあったんじゃけど、身の安全には代えられない。
西へ逃げて、新たなスタートを切った。
今、昔のブログ記事を整理しながらカテゴリー別に分けとるんじゃけど、改めて気づかされることが多いのう。
荒地と格闘しながら、何もないとこから農産物を生産するようになる過程とか、改めて振り返るとすごい。
東京ではできんかった農業、それを毎年拡張しながらついにカイアポの大量生産へのメドをつけた。
ブログリンクにある前やんも、私の方法を後追いで実践。
移転当時の私から比べても、相当進んだことをしよる。
さらに同じようなことができる人が増えたらええんじゃけど、まあそれはおいおい。
今、当面目指すべきことは、カイアポを主軸に、高付加価値の農産物を販売することを事業化すること。
どうなるかわからんのじゃけど、数年以内には達成したい。
過去のブログ記事を読み返しながら思うことは、移転当時の何もなさじゃのう。
連日荒地をさまよい、セイタカアワダチソウを駆除しては、延々と焼き続けた。
虚しかった。
原発事故で被曝して亡くなった菊池さんを救えず、何もないところでセイタカアワダチソウを焼く日々。
天意とはいえ、左遷された感がハンパなかった。
しかし、カバチをたれても始まらんけえのう。
天意に沿うべく、ひたすら頑張った。
その時思うたのが、項羽と劉邦の時代の故事じゃった。
義兵を起こした項羽と劉邦、楚の懐王の発言で、秦の都咸陽に先に入った者を漢中王とするいうことがあった。
このことでは劉邦が先んじたんじゃけど、勢いに勝る項羽の手前、漢中王は名ばかりで蜀に左遷されてしもうた。
しかし、張良の言う利を聞いて数年雌伏し、やがて三秦を破るのを皮切りに、項羽の楚を滅ぼした。
劉邦が天下を取れたのも、蜀での雌伏の時期があってのこと。
調子に乗って失敗することもあったにせよ、劉邦が忍耐をすることによって得たものは大きい。
やはり、不遇な時にどうするかでその後が大きく変わるように思う。
劉邦が咸陽入りで先んじながら、不当な扱いをされたのは誰の目にも明らか。
その不遇な時期は、劉邦に対しての天意だったんじゃろう。
同じように、私が東京から離れることになったのも天意ならば、それを受け入れてそれからどうするかいうことになる。
まあ、人間は時を耐えることが必要じゃ。
それができん者に、真の成功はない。
今まだ完全に思い通りにはなっとらんのじゃけど、かなりの手ごたえはある。
天意の命ずるところ努力する時に、必ず明るい未来があることじゃろう。