私が最初に小周天に成功したのは、高校3年の時。
あの頃は、私の将来を左右する大事な時期じゃった。
実家との争いや学校でのイジメの問題など、今の私でも大変なことを、何の能力もなしに格闘しとった。
状況を打開するための方法を模索しながら、世紀末へ向かう不安も重なり、センサーを張り巡らして備えた。
アニメ画像の進歩と、その表現力に魅せられた私は、なぜかそれがいつか役に立つんじゃないかと漠然と思い、ビデオデッキの普及と共にのめり込んでいった。
アニメへの傾倒は、高校1年ぐらいからじゃけえ、考えてみると気功修行の前じゃったことになる。
時は80年代、そこから90年代にかけてオタクが中心になったアニメ文化が花開くことになる。
そういう意味では、私もアニメオタクの一種でもあったと言える。
しかし、アニオタにもいろんなジャンルがあり、アニメヒロインやアニメのエロを追いかけ回すスケベなやつから、マシンのデザインを追いかけ回すやつ、ストーリーをとことん覚えまくるやつといろいろおる。
私の場合は、どれにも当てはまらんね。
私はコマ送りとかで表現技法を研究しながら、アニメ画像の持つ表現の自由性、限界のなさを追求するようになっていた。
アニメにハマって、その後に気功修行。
そのタイムラグも、絶妙じゃったと言えようか。
あれでタイムラグが長過ぎたら、絵そのものの方向性にどっぷりになる可能性もあったし、短かったら気功への応用にはならんかったじゃろう。
アニメには絵だけでなく、言葉も参考になるもんが多々あった。
聖闘士星矢なんかが始まる時期に修行を始めたこともあり、次回の予告編での言葉をいつも心に刻みつけとった。
最後、いっつも君はコスモを感じたことがあるか?とか言うんよね。
あれを聞いて、そやな~、コスモは感じにゃいけんのんじゃな~とか思いよった。
そうなんよ、小周天は理屈もさることながら、感じる感じないの世界なんよ。
そうした後押しもあって、大学進学前に小周天を成功できたことは、デカかったと言えるのう。
小周天でエネルギーをコントロールするようなことをすると、アニメの表現、特に現実にはあり得ない画像とかのこと、さらにその変化に関してエネルギーのコントロールとリンクさせることができた。
エネルギーのコントロールの真髄は、映像を変化させるが如く、どこまでその変化の可能性を追求できるかなんよ。
薄っぺらい二次元の平面に、三次元を自在に動くが如く、さらに、その質感も感じさせながらいうこと。
アニメですらそこまでできるんじゃけえ、内的エネルギーも単純に置いとくだけでなく、同じように操ってこそその可能性は大きくなる。
聖闘士星矢の特にゴールドクロス、あれが単純な平面にメタルの質感を持たせられるのはなぜか。
一見ムチャクチャな画像を挿入することが、炸裂や衝撃、発光のシーンで生きるのはなぜか。
まあそういうことは、専門的にはアニメの専門学校で教わるんじゃろうけど、同じようにただ単なるエネルギーとして置いとけばそれまでのエネルギーが、質感や動きを持たせることで仕事をするようにもなる。
そういう仕組みよね。
その仕組みを理解した者は、相応に使いこなせる。
パワーの大きさ自体もそうなんじゃけど、それだけでは無地のセル画なんよ。
油絵の具で表現できる限界はある。
しかし、それなりに表現できたことは評価される。
アニメなんかは動き、変化する。
小周天とかでエネルギーを動かす時、その動かすにあたり、どんだけそこに可能性を求められるか。
小周天一回は、大したことはない。
しかし連日の小周天、さらにその先の修行で、何をどう持っていくかは、その後を大きく変えるじゃろう。
大学へ進学し、部屋にこもって小周天で座禅を組み、目を閉じて気を動かす。
その時に、いつも見とるアニメでのお気に入りの場面の画像を思い浮かべながら、ああしたふうにとかそのシーンに没入したりとか。
そこに例えば、聖闘士星矢のセリフでコスモを完全燃焼するとか言うのをイメージしながら、ああでもないこうでもないってやっとった。
こうした表現力の可能性と、自由性。
それをエネルギーの面で感じられてこそ、アニメでのイメージトレーニングは成功したと言えるじゃろう。