高校は、私にとって暗黒時代じゃった。
両親からの虐待からの争いが激化し、実家を巻き込み、親族で味方は末の弟だけ。
味方になれないまでも、 他に相談できるのは母方の従姉妹のR子ちゃんと父方の叔父のO。
味方であるはずの母方の祖父母は言いくるめられて中立、叔母のH子さんも旦那の手前かばいきれんかった。
さらに学校ではイジメられ、それに対処しようと入った柔道部でもイジメられた。
クラスの担任も善人ではあったものの融通が効かず、中高一貫の6年間いろいろ邪魔してくれた。
そうした中、ストレス解消と救いになったのは、私のくり出す謀略でそうして降りかかる難題を回避することじゃった。
取り組む内容はいろいろ変わるんじゃけど、あれだけの迷惑なことが続くとさすがにイヤになる。
しかし、一つ一つが食らった場合のダメージもデカいけえ、逆に回避できた時の喜びはやはりデカいものになった。
何日か前に修学旅行や柔道部の合宿を回避することを書いたんじゃけど、あんなののダメージをマトモに食らった場合は、相当打ちのめされとったじゃろう。
あと地味に邪魔じゃったのが、中高一貫の6年間担任じゃったS先生。
今でこそ憎しみはないんじゃけど、あの頑なにいろいろ強制する姿勢は、当時憎くて憎くて仕方がなかった。
私服解禁じゃった母校の中で、うちらのクラスだけ私服禁止。
理由もわからんまま、私が反対派の急先鋒として争うたんじゃけど、意味のないことで随分消耗させてくれた。
反発する声を抑えきれず、終いにゃ解禁。
ふざけんなって言いたい。
あと、授業以外の時間でホームルームいうのがあった。
高校野球の応援やら、講演会やら、会議っぽいことなど。
くだらないんで帰る人が続出するんで、学校もそれを単位化して締め付けた。
ホームルームを一定以上休むと、進級できんようにしたんよ。
もうそんなこともあって、ストレスたまりまくり。
それで、遠足なんかはわざと遅れて居残り自習を選んだり、高校野球も行くには行ったんじゃけど、一切応援せんかった。
遠足の場合も、まるっきり行かんかったら欠席扱いじゃけえ、居残りでも出席せにゃいけん。
くだらねえDランドなんか行くよりは、居残りでもはるかに楽しかった。
一番腹が立ったのは、会議っぽい時のホームルームで早く終わった時、他のクラスは帰してもらえるのに、うちのクラスだけ時間いっぱいまで居残り自習させられたこと。
そんなこともあって、講演会は脱走することにした。
これは、まんまと成功した。
講演会が始まると、会場が暗くなる。
それに講演に皆集中する。
開始して15分ぐらいが目安になる。
私以外にも脱走したやつはおったんじゃけど、うまく逃げおおせたのは私らだけじゃった。
単独で逃げると、見つかる確率は高くなる。
そこでグループを組む。
しかも少人数。
目印の場所を決めておき、そこの下におったとお互い証言し合う。
それで一気に逃げずに、一人づつ。
後日先生からの尋問で、改めて出欠の取り直し。
六崎、お前ちゃんといたのか?
いましたよ、Y君と一緒に時計のある柱の陰にいました。
おいY、それは本当か?
はい、僕も六崎君もNもみんなそこにいましたよ。
そうか、それじゃあお前らは出席と。
おいH、お前はいなかったよな、出てくの見えたぞ。
あ、いやその。
こんな感じでバサバサやられた。
失敗した連中は、なんでオメーらだけうまくいくんだよってボヤいとった。
私らのグループは、全員逃げたにもかかわらず成功したのは、お互いうろたえずに証言し、しかも具体的な場所の細部まで堂々と言うたことがよかった。
帰り道でも、場所の具体性や尋問された時の想定問答をシミュレーションしながらなんよ。
こんな感じで頭のカタイ先生を出し抜くと、それはそれで達成感があった。
しかし、そうしたことも物質的に得られたもんがあるわけでもなく、成績が上がったわけでもなかった。
高校時代は暗黒時代ではあったものの、その後に戦う悪との戦いに役立つ謀略を鍛えてくれた。