今から17年ぐらい前に、水の関係のことで千葉の上総湊に行く用事があった。
そこに突然、割って入ってきた人がおった。
土建屋の社長のHさん。
私と話しとった人と、なんか激論しとった。
私の存在にようやく、あんたは誰だ?いう話になった。
いやその、水の関係でこちらの方と・・・。
それで一言二言。
後日、関係者から私の番号を聞いて、電話をかけてきた。
あなたの話を聞いて、若い人の話とは思えない。それにあなたのその目、実にいい。末長くお付き合いさせてほしい。
そんで、会いたいって言うんで、会いに行きました。
彼が言うには、拡張型心筋症で先が長くないから、今のうちにこの人はと思う人と懇意になっておきたいいう話。
先の短い人が、今後のことを一生懸命考えとる。
それは、人生が死んだ後も続くこと前提の行動と言える。
いろいろ話をする中で、あんたなんでそんなこと知ったんだとかよう言われた。
彼は、私の目の透明感、明鏡止水のようで実にいいとか言うとった。
何のことかを聞くと、彼が若い頃属していたA教で教わった審判(さにわ)での判断じゃと言う。
そこでいろいろ修行をしたんじゃけど、肝心の教祖がペテン師じゃったとか。
しかし、その師である出口王仁三郎は本物じゃとか。
それで、私の目を見て審判(さにわ)したんじゃけど、その透明感と見識にびっくりしたらしい。
審判(さにわ)は目と雰囲気で判断するとか。
目の瞳、その黒い部分には、その人が心で見とる風景がそのまま映る。
心の純粋性が、その瞳の色や光となって発現するらしい。
なるほど、言われてみれば、人それぞれ目の状態は違う。
形や大小に関わらず、瞳の色や輝きは固有のもの。
なるほど、そういう観点で見ると、セシウムカルトになったn崎なんかは、もともと薄汚れとったけえ、お前には心に障りがあるぞって言うてはおいた。
最近では心の障りも肥大して、被曝の障りの影響もあるんか知らんのじゃけど、目が落ちくぼみ相当キモくなっとる。
あんな目でニッコリ笑うてポーズを決めとるのを画像でアップしよるけえ、ほんま笑うぜ。
あの腐った目で見よる世界って、どんなんじゃろうねぇ?
まあそれはさておき、この審判(さにわ)のことや、鎮魂帰神の印なんかを教えてくれた。
これらはかつて大本教で、出口王仁三郎がやっておったことなんじゃけど、Hさんの属していたA教の教祖は、王仁三郎の弟子なんよ。
王仁三郎亡き後、鎮魂帰神は大本教では禁止された。
それは、心の準備のない者がやると、かかってきた霊が外れんようになり、おかしくなる危険性があるんよ。
しかし、A教では野放しで、その影響で精神に異常をきたす人が多いらしい。
しかし、そのおかげで私はHさんからそれを継承できた。
きちんと管理監督できる者がおらん状態では、これはやるべきではないんよ。
逆に、正しく管理監督できれば、それなりに機能するもんでもある。
これらの技は、出口王仁三郎の前は、長沢雄楯(ながさわかつたて)、さらにその前は本田親徳(ほんだちかあつ)なんよ。
本田親徳は、狐憑きの少女を見て驚愕し、そういう憑霊現象を研究して本田霊学を確立させたんよ。
かかってきた霊に関しては、正か邪かを判定せにゃいけんこと。
そのために審判(さにわ)があるんよ。
Hさんは出会うて5~6年で亡くなったんじゃけど、彼の継承した本田霊学は、私や私の仲間内で波動の技となって生きとる。
彼の会得した能力は、審判をさらに応用した人相見じゃった。
際立った技を持つ人は、たまにおるんじゃけど、その奥義はその本人の人生を象徴しとるんよ。
Hさんの継承した本田霊学と、そこから私が継承した本田霊学、これもやはり同じようで同じではないんよ。
それ以外の技も、私が他から継承したもんは、その手本になった人のもんとまるっきり同じではないんよ。
まるっきり同じの猿真似では、芸がないし意味がないんよ。
私の技を習うた人の中からも、それを独自に変化発展させる人も出るじゃろう。
1つ言えるのは、改悪になっちゃいけんいうことなんよ。