六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

ヤヌスの鏡に関連して、多重人格について考える。セシウムカルトn崎は統合失調症、人格が統合できん精神分裂症。それでデタラメな福島安全理論を言うけえ、ネットで叩かれ批判集中は当然のこととなる。

幼少期の虐待で多重人格になるのは、自己防衛のために仕方ないんよ。

それは昔なつかしのドラマ、ヤヌスの鏡を見ればようわかる。

本来の性格とは違うもんを作ることで、バランスをとるとも言える。

私も虐待の期間が長かったこともあり、ヤヌスの鏡の小沢裕美と似たような感じになった。

しかし違うのは、小沢裕美が別人格大沼ユミに完全に乗っ取られるのに対して、私の場合にはそれがない完全統御型の多重人格なんよ。

仲間内を見ても多重人格はおらず、皆さんシンプルな作りになっとるんよね。

知り合いではセシウムカルトになったn崎がおり、こいつは人格二つの二重人格。

しかも、どちらも統御できん不良品。

こいつが職場や交友関係で犯罪になるようなことにならんのは、見栄や体裁がブレーキをかけとる関係で、それが一定の統御をしとる面がある。

しかし見栄や体裁を保ちたいいう気持ち自体も単なる欲望に過ぎず、それがもとで嘘や放言の多発となり、やがてそこから発生しよる矛盾から信用を失うことになる。

私生活で長く親しい友人が全くおらんことが、そのことを如実に表しとる。

10年と続いた親友はおらんのよ。

私などは親族の中にも親しい人はおり、それは40年以上のつながりなんよ。

さすがに学生時代の友人は話が合わんようになり切れていきよったんじゃけど、それ以外では20年以上の付き合いの人はおります。

商売や利得なしで10年あるいは20年ずっと変わらんつながりがあることは、お互いに信用があるいうことであり、相手もこの人は正直であると思うとるいうことになるんよ。

私に関して言えるのは、個人の能力が毎年変わりよるけえ、それで手をつなげんようになった人が欠けていく感じなんよ。

相手から正直じゃと思われる所以は、どんな時も裏表なくダメな時はダメなりにその姿を見せることがある。

しかし、信用を失う人間はそれができん。

ダメな時も強がって、カッコつけるんよ。

なんでカッコつけるんじゃろうね?

私からすると不思議なんじゃが、そんなこと後からバレた時には、さらにカッコ悪いじゃろうに。

まあ簡単な話、自分の欲望を最優先しよる者は、そのことがいずれアダとなる、それだけのこと。

n崎が何の根拠もなくセシウムカルトKく☆まこの理論を受け売りして福島原発安全理論を広めるのも、意図はわからんのじゃけど本人の欲望。

いや、意図は道連れの増加、巻き添えの増加なんよね。

信用がないけえ、親友がおらん。

親友がおらんけえ、孤独。

孤独はさみしい。

じゃけえ、巻き添えが欲しい。

そんなところよ。

自分が孤独な理由としては、みんな俺のレベルの高さが理由できん、それを思うとるんよ。

それが、俺の考えを理解できるレベルの高いやつは、所詮存在しないのさってやっとる姿なんよ。

まあ確かに、体裁によってコロコロ変わる主義主張が次にどう変わるかなんて、わかるやつはおらんわのう。

わかりたくもないわ。

私と関わってからの、やつの主義主張の変遷を見ていこう。

私の波動の技で肩を治され、また魂の民族判定を理解したことから
私の理論に心酔し、私を教祖と崇め自分の理解者と思いこむ。

恋愛を中心とする欲望に、私の理論を応用できんか考えて、活用し始める。

やがて、私のご意見番は自分しかおらんと思いこみ、親友申請。

私から、再三障りを消すように言われながら、障りもパワーなんよとほざき正当化。

福島原発事故では、事故後しばらくしてからやっぱり福島は安全で、波動で説明せず科学的に言えと逆ギレしながら自論を展開、福島の放射能測定を強制しようとした。

福島の放射能測定を拒否して矛盾点を指摘すると、一理あるとか言いながら私の波動理論をデタラメとかカルト扱いして批判するようになる。

こういう感じで結果二枚舌三枚舌となり、私の理論も都合のええとこだけ信じるご都合主義。

そんな精神分裂症、統合失調症の二重人格者が唱えとる福島原発安全理論。

皆さんどうでしょうか?

福島原発安全だけでもデタラメなのに、そこに精神疾患が加わり味つけされております。

それでも信用できる人は、愚か者です。

ネット上ではやつの性格全部は見えません。

関わっとったら、信用を失うことになるでしょう。