六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

左目のレーシックでの治療ならず、現在の科学では対応不能。悔しいんじゃけど、さらなる技術の進歩にかけるしかないのう。

今日はレーシックを受けるための検査に、神戸神奈川アイクリニックに行きました。

実は、私は左目が見えんのよ。

どっひゃ~っ!!!

いやいや、そうなんです。

生まれつき、左目が弱視なんよね。

それで、いつも正常な右目だけで見とるんよ。

おかげで、左下方が死角になっており、そのために武器はヌンチャクを極めた。

壁を背にすれば、数人に襲われてもヌンチャクでフルボッコにできるじゃろう。

ま、それはそれ。

しかしその左目は、小さい頃に訓練用の眼鏡で矯正しておれば治った可能性が高い。

3歳ぐらいの時に、私は母ゾロに左目が見えないことを訴えた。

しかし信用されず、ようやく信用したのは9歳の時じゃった。

目は10歳までは成長する。

その成長期に矯正することが、治す条件じゃった。

ギリギリで訓練したために治りきらず、目がびっこになってもうた。

ある意味、母ゾロに潰されたような感がある。

そのおかげで、野球の時には球の距離感が掴めず、バットに当てられんかった。

そのことで、クラスでは責め立てられることが多かった。

当然、野球もすげえ嫌いになった。

高校の野球の応援で、一言も応援せんかった理由の一つは、野球嫌いいう面もあったし、一回戦で負けることもわかっとったんで、なおさらバカらしく思うとった。

ともあれ、片目だけで生きてきた。

レーシックのことは、それこそ就職してすぐぐらいに知った。

しかし、最初の職場を脱出できんうちは、そんなの検討できる余裕がなかった。

その後も、何かのビジネスか何かで成功してひと段落したらにしようと思うとった。

それで延び延びになっとった。

しかし、銀座のマンションが売れて持ち家ができるようになり、さすがにもうええ時期かと思い検査を受けることに。

しかし、弱視対応のレーシックは無理とのこと。

それを説明してくれたスタッフも、偶然私と同じく片目か弱視

懇切丁寧に説明してくれた。

いやいや、ほんまありがとうございました。

キチンと説明して何でもかんでも商売にしようとしないその姿勢は、とでも良心的です。

今は無理でも、技術の進歩で治せるようになったら、その時は間違いなくお願いしたいと思いました。

今回は残念じゃけど、ともあれ納得しました。