脳膜炎で障害を負うた大叔父がなぜ晩年の安泰を築けたか、それは人格形成時における危険な状況が背景にあった。
ダメにされるかされないかスレスレのところをかいくぐることで、大きく実力がジャンプアップする。
大叔父金蔵さんの生きた時代は戦争いう危険もあり、乗る船を間違えたら魚雷にやられて死んだとかいうこともあった。
同じようなことは、私の人生にも言える。
両親からの虐待がなければ、今のような状況にはならんかった。
熱いお湯に落とされたカエルは飛び跳ねて助かるんじゃけど、ぬるいお湯に入れてゆっくり加熱すると煮られてしまう。
晩年の金蔵さんは、老人ながら発想は若かった。
かつて知的障害があったとは、とても思えんかった。
私自身、落ちこぼれて何もできんかった頃からすれば、今は夢のような状況にある。
1年や2年ではそんなでもないんじゃけど、5年10年ぐらい努力するとそれなりに変わってくる。
10年単位の努力は、それだけの力を持っとる。
学歴がなかった金蔵さんは、そのことゆえの限界はあった。
しかし同じ立場に立たされて、あれだけできるか言われたら、正直私では無理じゃろう。
逆に私の立場に金蔵さんが立たされても、おそらく無理じゃろう。
それだけ意味合いが違う厳しさがあり、それを突破した時に相応の結果になったと思う。
知り合いでもアスペルガーの人はおるんじゃけど、人格形成時にはぬるま湯におったんじゃろう。
そこで、だいぶゆでられてしもうとるんかもしれんのよ。
なんらかの危機感を刺激できれば、あるいは動かすことができるかもしれんのじゃけど、それはどうすりゃええんかね?
危機感を持たんようになった野生動物は退化し、単に食べて生きるだけの存在になり、天敵が出てきたらいともカンタンに食われて絶滅するんよ。
人間もそういう意味で、なんとかしよういう気持ちがなかったり、あっても反映されんかったらどうしようもなくなるんよ。
アスペルガー、その障害を崩すには本人だけでは治らん場合が多いけえ、難しいのう。