ここのところスクリードの中で、ハチの系統の人らの性別について思い巡らすことが増えた。
特にビー(ミツバチ)は、圧倒的に働きバチが多い。
働きバチはもともとメスなんじゃけど、その中性化したメスに支えられて生きとる。
たくさんの女性集団が、所々男仕事を担ってこなしとる。
そんな感じなんよね。
そうしてできた擬似男性が、そのまま男性として定着していく感じか。
もともとの素材が女性じゃけえ、どっしりした貫禄はない。
それでも、そうした人がニューハーフになるかいうたらならんのよ。
知り合いで前やんがおるんじゃけど、ホモやニューハーフになって男を求めるかいうと、そんなことはないのう。
やはりそこらへんの性別自認は、ぐちゃぐちゃやあやふやにはなっとらんね。
女であって男になり、男として男たることに揺るがない。
そこらへんの仕組みが、ようわからんのよ。
大抵女性人格がデカい人は、男として生まれたとしてもやはり女性化していき、妥協ができんのよ。
男性人格がデカい人は、女性として生まれたとしてもある程度妥協できる人が多い。
それがオナベに比べて、圧倒的にオカマの方が多い理由でもあるんよね。
女性なのに男性として生きられる、それはある意味ニューハーフの人らの救いになるかもしれんのよ。
そういう意味で、スクリードの蜂の系統は男女の性別の概念が一般民族とは違う感じがするんよね。
社会コミュニティを維持する意味での性別であり、趣味趣向の娯楽的なもんではないんよね。
持って生まれた心の性別のデカい方が際限なく暴走しよる時、そこに間違いは生まれるんよね。
本能に基づいて動く時、それはえてしてそういうことになりがちなんよ。
ともあれ性的なことは最高の喜びではなく、そこをしっかり認識して修行すべきなんよね。
スクリードの蜂の人たちにとってはそれが使命と一体化しとるんで、別の性別になったとしてブレずにやっていけるんよね。
この複雑な構造に関して、もう少し検証を続けてみましょうかね。