今日はちょっと基本に戻りまして、魂の民族に関してと障りに関しての審判(さにわ)についての感覚について話をします。
審判(さにわ)に関しては、カルト教団Kでサラッと言われたことがあるんじゃけど、そこの人らは全くできない。
先日書いた記事で、亡くなった千葉のHさんから技を継承したいうことがあるんじゃけど、そこに根っこがあるんよね。
そこに私は魂の民族の特徴を織り交ぜて、だいたい今のやり方ができとる。
これもたまにミスリードとかはあるものの、それは重度に変形したケースに限られる。
このセンスは、やはり基本に謀略の基礎ができとる者にはたやすく、それがない者には難しいように思うんよ。
あの表情であの動きならゼウス系じゃろうとか、オルゴン系じゃろうとか、ゾロじゃろうとか、そういうのはもう集団としてのその民族の特徴がわかれば見えてきよるもんなんよ。
あいつ、あの顔ではここらへんしよるじゃろういうことなんよ。
しかし、それが掴めん人らもおるんよね。
ニュートン系やゾロ、新人類の一部なんかにおるよね。
これは学校の勉強での頭の良さとは、違う尺度。
どうも、1人の人間の性格を全部見てからでないととかいうのがあるらしい。
仲間内でも前やんなんかは、大河ドラマ新しいのやるたびにいちいち聞いてきよる。
逆にそのやり方じゃと、役者の演技のやり方や脚色のし方によって、だいぶ狂うてきたりしよる。
そこらへんは、悪人で障り持ちであるセシウムカルトn崎の方が謀略の基本がある関係なのか、わかるんよね。
しかし、あのバカは民族が見えても自身の心の障りによって相手に障りがあるかないかがわからない。
とある歌手がゾロなのはわかっても、その歌唱力で高級ゾロじゃとか言うたりしよる。
広島のオルゴンMは、そのあたりはもともと上手かった。
ぽんたは最初の頃、カルト教団Kで10年以上勉強してもわからんかったのに、なんであんなに細かいとこまで言えるんじゃ?って不思議に思うたんよね。
オルゴンMは学歴があるわけでもなく、一介の主婦に過ぎない。
しかし、アッサリそこらへんを理解して活用できとる。
最初のぽんたのショックはデカかった。
その読み方はデジタルじゃなく、アナログなんよ。
ほどなくしてぽんたにもわかるようにはなったんじゃけど、わかるまではやはり前やんのようにしつこくあの人どうじゃ?ってやっとった。
オルゴンMと似たような感覚でとらえたのが、乙女座移民のCちゃん。
彼女もやはり高学歴でもないんじゃけど、やはり集団としての理念を掴んだとしか言えんできばえ。
人間を物質的にとらえる限り、これは永遠にできない。
基本も持ったら、パターンを掴むことじゃ。
謀略の基本には、次に打つ手がどう反映するのかを読むことがある。
それが読めてこそ、作戦は立てられる。
それができん者は、できる者の後について行き、その指示の中で生きることで安泰となる。
そこから抜けるには、何手か先まで読むしかない。
セシウムカルトn崎は、自分より私の方が何手か先まで読めることを知っており、自分のデタラメさにも迎合せず、それを正当に批判できることを以って私を絶大に信頼しとる。
私が正しいほど自分が否定されていく矛盾の中に生きとる。
同じことはかつての母ゾロもそうじゃった。
母ゾロは、当時叔母に私と争うことは、正義そのものと争うことと同じとか言うとった。
しかし、私への対抗心だけで争うとった。
私の正義の謀略と戦い、勝つことはかなり難しいはず。
そうした先が読めんことで、母ゾロは私に相当苦しめられた。
審判(さにわ)ができてこそ、それを応用した謀略もできる。
しかし、審判(さにわ)をするにも最低限の謀略の基本は要る。
どこかでコツが掴めれば、あとはそれを応用するだけなんよ。
民族の審判(さにわ)はできても、心の審判(さにわ)ができないセシウムカルトn崎。
心の審判(さにわ)ができても、私の民族の審判(さにわ)が理解できんかったHさん。
しかし、心の障りがわかるだけHさんの方がええ。
彼いわく、運命が狂うてしまう。
そうなんよ、心に障りがあるもんと付き合うと、運命が狂うてしまうんよ。
そういうことをふまえて、審判(さにわ)の精度を高めましょう。