もともと生き物は光のエネルギーで活動するもの。
また、戦いにおいても光の闘気を使うもの。
しかし神仏は生き物に自由を与えた。
自由がある限り間違いも犯す。
悪のよすがができなくもない。
当初は悪のない世界でも、間違いがかさんで悪になることはある。
つまり悪の発生は想定されるいうことなんよ。
となれば、悪との戦いも当然出る。
その悪が使う悪のエネルギーに対抗するのに、同じ土俵に立たにゃいけんこともあろう。
悪には悪の流儀で対処せにゃいけんこともある。
長年悪と対峙し、戦い続けた者は無意識に悪への対抗上、悪の流儀を身につけてしまうことがある。
その一環が暗黒闘気だったりする。
自分の中にコントロールできる悪を発生させて、使えるようになるんよ。
悪を理解しつつ悪を為さない。
共感はしても同調はしないいう絶妙な感じになるんよ。
神仏もいずれ暗黒闘気を用いて戦う正義をも想定したのではあるまいか?
推測の域でようわからんのじゃけど私はあったと思う。
ただ、暗黒闘気も最低レベルしかない私にとってさらに上が身につくのか?あるいは身につける必要があるのかはまだようわからんね。