ひたすら死ぬのを待っとる某団の総裁。
彼が転落した要因の1つは、悟りを開く前に霊的修行をしとらんかったことがある。
やったことは知的鍛練ぐらい。
釈迦もキリストも、最近の人では出口王仁三郎や高橋信次といった宗教家は、悟りを開く前にそれなりに修行して霊的体験を積む。
出口王仁三郎は自伝映画、聖師伝とかで若い頃の修行を再現したりしよる。
そういうことは教えを説く者、啓示を受ける者の霊的修行。
そういうのなくしていきなり啓示を受けると、補佐役が近くにおっても危うい。
某団体総裁も父親の補佐がありながら、結局ダメになった。
総裁の転落を受けて、急ごしらえで啓示を受けたアマーリエさんも奮闘空しく帰天。
私も修行経験があるんじゃけど、それは啓示を受ける者のもんではなく、弟子筋の者としてのもの。
しかし、それを通ったことで鍛えられて転落しにくくなったことは否めない。
同じように正法を求める修行者であっても、特に金星人なんかところてんみたいなぺらっぺら。
仲間内では柏に金星人で転落したやつおったんじゃけど、修行者としての心構えがダメ過ぎじゃろ。
精進することも遊びの延長でやりよる。
真剣さが足りん。
同じように見える修行者も、中身は違うんよ。
霊的修行以外にも、体を鍛えるなど自分を律して打ち込む経験がないやつはダメじゃ。
紙の上だけでの感動、紙の上だけでの悟り、紙の上だけでの修行、薄っぺらいのう。
某団体総裁も結局は紙の上だけでの悟り。
脆かったのう。
脆過ぎたのう。
やはり、修行は必要じゃ。
霊的修行を否定軽蔑した某団体総裁、それを真に受けて頭でっかちで実務能力のなくなった盲信者、どうしようもないのう。
経験なくして悟りに厚みなし。
単に善だけでも厚みなし。
悪と戦い、やっつけてこそ正義も完成する。
私は若い頃から修行して本当によかったと思う。
霊的世界は存在する。
悟りもしかり。
それは実体験した者にはその通りの世界で、否定のしようがない。
基本を否定したものはダメになるしかない。
ともあれ原理原則を貫いてこそ道は成就する。