今朝、残りのオウムの死刑囚が追加で死刑執行されました。
麻原の死刑執行で、ほぼ区切りはついておったものの、オウムの関係者の執行によって、今回の執行劇にピリオドとなった。
責任は麻原にあるものの、その洗脳下にあって事件に加担させられた死刑囚の人達、また被害者の悲劇は、ひどいと言わざるを得ない。
この洗脳下の犯行は、ある意味恐ろしいのう。
他の宗教でも、それは十分考えられることなんよ。
教団に人生を捧げて人生が狂うたのは、カルト教団Kに関しても同じことが言える。
最初に教えにふれた感動で、その理想を実現すべく頑張ろうとし、しかし、その結果がひどいものなら、それはやるべきではなかった。
オウムはだいぶ求心力はなくしたんじゃけど、未だ教祖が健在なカルト教団Kは、私塾も作りながらその害悪生産を継続中なんよ。
こちらはオウムのように国を転覆させるようなことまではしないまでも、それ以外はほぼ同質と言えるじゃろう。
教祖の行いを見れば、それはその通り。
きれいな女性信者とエロ三昧。
麻原も寵愛する愛人がおったし、カルト教団Kの教祖は前妻を追い出して愛人と再婚した。
正妻に子供がおらんとか、然るべき理由があればともかく、お気に入りの女性を手当たり次第いうのはどういうこっちゃ。
男のエロ願望以外の何ものでもない。
カルト教団Kの教祖の言い分によれば、霊格の高い人とエッチなことするのは光を入れることになり、悪いことではないとか。
随分都合のええ理論じゃのう。
スキャンダルをさんざんすっぱ抜かれてそれを逐一否定し、バレてから言い訳にならん言い訳をするのがカルト教団Kの教祖。
ここも、集団殺人こそやっとらんだけで、ちょっとグレーな事件簿がなくはない。
スキャンダルがバレてから、教祖が否定しとったエロ三昧は真実であることがわかり、そうなると極めて黒に近いグレーである事例が見え隠れすることになる。
元一番弟子じゃったTさんが週刊誌Bに暴露した性の儀式に関して、被害者Yさんの相談を受けとったMスギさんのナゾの死は、教団に消された可能性が極めて濃厚と言わざるを得ない。
教祖のエロが背景にあったこと、そのもみ消しが行われたことを考えると、そう考えるのが自然であり、エロが背景になかったとするとナゾのままとなる。
教祖にやましいことがなければ、わざわざ有能な講師Mスギさんを殺す動機も必要性もなかったんよね。
それでいきなりナゾの死を遂げるのは、それこそナゾなんよ。
結局、オウムと同質なんよね。
違いは最初からおかしくなったか、途中からおかしくなったかぐらい。
また、麻原も彼個人であそこまで考えられたかは疑問であり、操られとった可能性は高い。
それは、カルト教団Kの教祖にも言える。
ここ最近の勝てない選挙や何の資格にもならん私塾なども、ほんとバカ。
昔なら絶対やらんじゃろういう愚策を連チャンでやり続けるのは、その背後に何かおるんじゃろう。
それがハッキリするのは、あと5年ぐらい。
ここは初期に入った信者が財政を支えており、それらの人らが定年を迎えるのがあとだいたい5年ぐらい。
それでもなおムダ使いができるようなら、そこには他からの資金が入りよることを示しております。
洗脳下の悲劇は、オウムの死刑囚が示しております。
カルト教団Kの信者や幹部よ、他人事じゃないぞ。
ともあれ、カルトの被害がなくなることを望まずにはおれません。