もう、そんなに経つんじゃのう。
あの時を思い返してみると、福知山へ初めて行って帰って来たら大震災。
そこからすぐに福島第一原発が暴走して爆発、決死の逃避行が始まった。
ヨウ素を大量に含んだ放射性プルームが飛来して、それを避けるべく逃げに逃げた。
名古屋のホテルで数日間カンヅメになり、その後東京に戻るも予定しとった旅行を断行してなるべく東京を留守にした。
幸い月の半分以上が休みじゃったこともあり、逃げまくれた。
ヨウ素は、強い放射線を短期間で出して消えていく。
あとは、チビチビとセシウムが飛来する感じ。
1年ぐらいかけて移住先を考えて、計画を立てて移住した。
姫路に逃げた私は、絶望感と共に農業を始めた。
将来事務所として使うつもりで買うた銀座のマンションは巨額の借金としてのしかかり、友人を被曝で亡くして何もない原野と向き合うた。
そのうちカイアポの量産にメドがつき、さらに東京オリンピック特需でマンションが値上がりして家が持てた。
巨額の借金が、資産に変わったんよ。
この8年を振り返ると、夢のようじゃのう。
こんとな流れになろうとは。
まだ完全に思い描いた通りにはなっとらんのじゃけど、奇跡に近い。
ともあれ、カイアポのビジネスが軌道に乗ればほぼ完成と言える。
目先煩わしいことがあるんじゃけど、これまでの奇跡に感謝して計画を進めたいと思う。