今日で東日本大震災から3年、早いような長いような。
しかし今さらながら冷や汗が流れるのう。
あの時は天の助けなしには逃げれんかった。
私らは、それこそめくらめっぽう逃げられるだけ逃げて、できるだけ東京を不在にした。
その予定も前から決まっとったこと。
その不在の時に放射性プルームはやって来た。
放射性プルームも、最初は圧倒的にヨウ素だらけ。
それが半減期8日で、強い放射線を出して急速になくなった。
あの時、前から決まっとった予定で動かれんかったら、アウトじゃった。
見えない天の配剤があった。
助かる人はどこにおっても助かるし、助からん人はどこにおっても助からんね。
あれから3年、汚染は広がり状況はほとんど変わっとらん。
総理も変わり、安倍首相は嘘ばかりつく。
チェルノブイリのデータが示す通り、病気の爆発蔓延は2016年から。
それが現実になった時、事故直後に私が血相変えて待避を呼びかけた意味がわかろう。
何はともあれ逃げられてよかった。
あの時のあの動きの絶妙さ、それは今同じことはできん。
しかし、また同じようなことがあったとして、天はまた助けてくれるじゃろう。