福知山のMさん、昔の大河ドラマを頑張って見とる。
ええこっちゃ。
今うちらのメンバーに、最低限見てほしいのは足利尊氏。
なぜかいうと、あれは戦国末期とは違う意味での変革の時期。
今のうちらに似とる。
見どころは、光の側の人達と、闇の側の人達の入れ替わり。
蒙古襲来から始まる幕府の失政と混乱。
そこから長崎円喜の専横、まさに鎌倉は闇となる。
北条でも健全な赤橋守時が奮戦しても、闇の流れに押し流されてしまう。
貧乏御家人の新田義貞の挙兵で鎌倉は陥落。
しかし、融通の効かないゾロ新田義貞は、ずっと後醍醐天皇の言いなり。
鎌倉撃破以外ほとんど戦果のないとこ見ると、鎌倉の勝利は担がれたことによるもんで、実力じゃない。
鎌倉幕府滅亡後は、残ったもん同士の光と闇となる。
天皇貴族中心の政治を目指す後醍醐と、不満だらけの武士に担がれた足利尊氏。
後醍醐がバカなのは、彼が理想とした平安時代とは背景が変わり過ぎとることに気づかなかったこと。
公家は腐敗し、それを優遇すると、それは悪となる。
光が過ぎ去った南朝は衰微甚だしく、楠木正成が巻き添えになるのがかわいそう。
北畠顕家の弓が当たらなくなり、ついに戦死。
皆して勝手なことばかりしとるんじゃけど、信念を持っとる人もおる。
闇の巻き添えで不遇の死を迎えた信念の人、評価すべきはオルゴン赤橋と神道楠木。
後醍醐も、1つの時代を作るために出たとはいえ、南朝に暗黒世界を広げたことで地獄。
巻き添えの貴族も、もともと健全だったゾロ北畠やニュートン千種も地獄。
ろくなもんじゃねぇ。
今、某団体総裁寂滅を待ちながら、蜂起する準備をしとるうちらは、討幕の口火をきった足利尊氏、あるいは後醍醐の健武の親政を崩壊させた足利尊氏と同じ立場。
足利尊氏も足利尊氏単独の力でああなったわけじゃない。
うちらの蜂起が成功したとして、それもうちらの実力じゃない。
そんで、うちらから光が過ぎ去らんよう心せにゃいけん。
うちらはうちらを守りつつ、対外的に情報を発信していかにゃいけん。
足利尊氏のどこの部分いうより、全体を見て感じとってほしい。