私がかつて修行した金沢の山里。
そこは、打ちひしがれた私が立ち直りにかけた再生の地じゃった。
昭和63年から平成元年まで、私が感じられたただならぬ気配の集団。
しかしそれは、平成2年に急激にひき、嘘のように静まりかえった。
その後数年、知り合いもおった関係で、たまに金沢へ行くことはあった。
しかし、2度とあの盛り上がりを感じることはなかった。
昭和62年の大学入学当時、たった1人になった感じがして、物寂しい感じがした。
心も揺れた。
不安じゃった。
大学辞めて違う大学受け直そうかとも思うた。
友達はできても理解者はおらんかった。
修行も投げ出そうと思うたこともある。
しかし、住めば都。
不便な山間部の僻地でも、慣れてみるとそれなりにそれなりじゃった。
入学当時、志を立てた。
誰もやらん治療法を編み出したいと。
そんでバイトと修行に打ち込んだ。
大学2年の時、昭和63年は、前年よりも充実し、毎日が楽しくなり始め、変な盛り上がりが感じられ始めた。
平成元年大学3年の時は、それが最高潮に達し、その時は翌年はもっとすごいと期待した。
しかし、一気に寂しくなった。
結局、あの2年間が旬の時期じゃったんよね。
その旬の時期が過ぎると、そこはもはやもぬけの殻。
最近十数年ぶりに行ってみても、やはりもぬけの殻。
例えば、偉い人じゃと、釈迦は菩提樹、モーゼはシナイ山。
そういう大事な場所がある。
しかし、旬の時期が終わった後は、やはりもぬけの殻なんよ。
かつて私の人生でも思い出の場所、活躍した場所は、往時の頃の面影はあっても、盛り上がりはない。
子供の頃楽しかった母方の祖父母の家、そこはもう更地になった。
ドン底で苦しみ、友人から気功を勧められ、修行について語り合うた有名私立進学校、そこももう昔の盛り上がりはない。
金沢もしかり。
そういう、役割を終えた地は、時々訪れるとしても、初心に立ち帰る意味で行くぐらいじゃのう。
それ以外用事はないわ。
さて、著書『驚異の超還元波動』シリーズを出した時、過去世の旧家臣団が集まった。
しかし2009年以降ピッタリ止まった。
その後すぐに福島原発事故があったこと考えると、なるほどと思わされる。
東京での学びも、ちょうど頭打ちに。
今は時を待つ状態。
そうした中で、次につながるような感じの人らが登場。
新しい世代にこっちで出会うとは、やはり彼らは私が逃げて来ることを見越して生まれとった。
ますますインチキ放射能手抜き測定野郎、n崎n詐欺の言う福島の放射線測定なんぞやっとれんわ。
ますます意を強くした。
昭和の終わり頃には、もうあの世では福島原発事故は、わかっとったんじゃのう。
醜いn崎は、過去の遺物と一緒に死にゃええんじゃ。
害虫が一匹減るわい。
ま、それはそうと、某団体総裁が正常じゃった昭和63年には、見かけ正常に見えた総裁も、やがて堕落することが予見されとったいうことか。
あちらが総裁がヤバいと感じたのは、昭和58年頃。
なるほど、その頃に有志を募り始めたわけか。
早い時期にもうダメじゃん。
しかし、総裁を目指して動いとった人らの動きは、さすがに止められん。
結果、多くの人が狂わされた。
そうした中、私は修行が効を奏した。
修行者として揺るがず、力を蓄えた。
新しい世代が、私を目指すよう言われて送り出されたとして、その目的が知りたい。
私は全ての人を救うとは思わんし、救世主としてもともと予定されてもおらん。
じゃけえ、私を中心に世界が救われるとは考えられん。
日本全部も無理じゃろう。
限定された範囲を安全圏にして、その中で修行研究じゃのう。
とりあえず仲間を守る力は最強。
攻められん限りは攻めん、専守防衛。
今回出てきたOさんなんかみると、プラスの0ヘルツがないけえ、過去世では気功の経験がない。
全く新しい経験を積みたくて出てきたようじゃ。
まあ、私の技や理論自体がまるっきり新規じゃけえのう。
モノにしてあの世帰れば、だいぶ様相は変わろう。
主導したのは日本神道の非主流派で、どうも日本神道に愛想を尽かしたらしい。
私も少数民族。
うちらはオルゴンが多いけえ、オルゴン優位ではあるものの、まあ混成集団。
同じ混成集団になるなら、日本神道なんかより、うちらの方が面白いってか。
あと孔子の光線の下におるのもイヤってか。
いずれ白鳥座のレプタリアンどもはシゴウしてやる!
あいつらが無計画に入れた新人類を正常化できる可能性があるのは、うちらぐらいじゃろう。
その技も覚えたいんじゃろうな。
覚えろ覚えろ。
そんで新人類きれいにしてくれや。
新世代の人らは、私らみたいに救世運動をやりに出ようとした人らではない人が多い。
中には21世紀になってから救世運動しよう思うとって、変更した人もおるけどね。
なるほど、修行者集団いうことからすると、上求菩提タイプか。
大衆救済の下化衆生タイプじゃないのう。
ますます私そっくり。
まあ限定された中で、最大限持って帰りたいいう感じかのう。
おうええぞ、持って帰れ持って帰れ。
そんで私個人いうより、ええ形で生き残った修行者いうことで私になったみたいよね。
そらそうか。
私がろくでなしになっとったら、会う意味ないわのう。
n崎なんぞ目指すやつなんかおらんのと、一緒か。
ふむふむ、だいぶわかった。
私は修行材料を提供してやればええんじゃ。
個人レベルで私に追いつくのは無理じゃろう。
しかし、そこそこの実力を持った集団ができれば、個人の私よりでかいもんになる。
うん、それはすごいのう。
そういう人がさらに増えたら、さらにすごいのう。
救世運動の後始末と、強い正義集団を作ればええわけか。
とりあえず、ここ数日書いた新世代の人らのこと、だいたいこんな感じです。