他動的作用によって、生活条件が劣化することがあります。
文明が崩壊するような大規模なもんから、失業離婚死別といった個人的なもんまで様々。
その変化がでかいほど、そこに対応する力が求められます。
今回は原発事故で東京から姫路に逃げて、利便性いうことからすると劣化したと見てええでしょう。
人は東京の方が多いし、集合するにも東京はなんだかんだで都合がええ。
しかし、その生活は不安材料が多くあったのも事実。
地震をはじめとする災害に関して、東日本大震災の時は、その脆さをかなり見せつけられた。
インフラがストップした時に、アウトなんよ。
あと、今の問題は放射能。
東京ではいろんな勉強ができ、そのおかげで波動のパワーとかも獲得できた。
詐欺師にダマされ、そいつらをやっつけたりもした。
得難い経験ができたと思う。
そんな最中に原発事故。
放射能の雲の飛来をほとんど無傷で避けた私は、姫路に逃げました。
東京でできた人のつながりとかもあったんじゃけど、移転で疎遠になった人もおる。
姫路に来た当初は、それこそ何もなかった。
あの決断で失うたもんは、ゼロではなかった。
せっかく伸ばした枝を、かなり剪定された感じになった。
枝をはらわれ、一時後退した感じになった。
セイタカアワダチソウの生い茂る原野ばかり。
しかし、劣化した環境は環境として、また態勢を立て直さにゃいけん。
セイタカアワダチソウを焼き、石を焼き、豆を植え、サツマイモを植えてやり直し始めた。
しかし、条件的によくなった点もある。
毎年、普通列車で東京から九州まで往復して西日本の仲間内と交流しとったもんが、姫路からなら移動時間がかなり減らせた。
往復に4日ほどかかっとったのが、2日になった。
広島や山口県東部なら、日帰りできる。
山口の知り合いとも、頻繁に会おうと思うたら会える。
また、災害の心配も大幅に減った。
東京と同じではないにせよ大阪に近く、新快速はほぼ特急。
新快速以外の電車も、座席が新快速と同じもんがかなりある。
電車の条件は大幅に向上した。
東京におる時は、ほぼロングシート。
しかし東京朝5時20分発の静岡行きと、静岡夜7時36分発の東京行きが特急車両じゃった。
原発事故の後もしばらく走っとったんじゃけど、私の移転する頃に普通列車の車両に置き換えられ消滅。
あれは東京におった頃の、御用達列車じゃった。
私にとって、東京の役割が終わった感じがするんよね。
当初原野ばかりじゃった姫路に移り、今では農業も手ごたえがある。
蔓延っとったセイタカアワダチソウを焼き払い、灰を肥料にでき、豊かな恵みがある。
一時、枝を落とした感じになったんじゃけど、新しい枝がだいぶ伸びた形になった。
先日の記事で、平家の落人のことを書いたんじゃけど、ああいうやはり生活条件の劣化も当初は大変じゃったと思う。
最近では太平洋戦争で被害受けたり、その前は明治維新で武士の家禄が廃止。
江戸時代の前には、関ヶ原の合戦で大幅な領地の削減や没取。
室町時代の初めには鎌倉方や南朝の人ら。
源平の合戦では平家。
日本の歴史を見ても、ざっとこのぐらいはある。
こうした生活条件の劣化を、ええ方向に持って行けた人もおる。
毛利なんかも120万石から36万石になったんじゃけど、紙やろうそくなどの産業を奨励して、実質的に80万石ぐらいの収入になったりした。
上杉の米沢藩なんかも似たようなもんじゃ。
抗い難い力によって、不本意にも生活条件が劣化することはある。
しかし、残った条件を上手くリストラして新たなもんを作る時、それはまた次の強みとなるんよ。
必ず次善の策はある。
失うたもんを惜しむのは人情としてわかる。
しかし、新たな道の中に、次の発展の芽もまた眠っとるんよ。