私が編み出した技は、ある意味空の技。
実体無きが如く見えて、無に非ず。
その究極が波動のパワーであり、そこに魔法力としての情報を盛り込むこと。
無から有を生むように見えて、まるっきりの無でもない。
最初に理念ありきなんよ。
理念生じて有となり、必要に応じて仕事をする。
理念は、動くまでは潜んどる。
私の実体も、普段は虚となって空の状態。
言わば虚空(こくう)に潜んどる。
それが虚の要素の究極。
虚を掴まんとすれば、空を理解し虚空に潜むことなんよ。
逆に虚空に潜む者を探すには、その逆経路がある。
北斗の拳のカイオウがケンシロウとの戦いで言うた、実体なくして実体を掴まんとすれば、気拠る所にありかな。
私が虚空に潜んでも、それ以上の達人からは見抜かれよう。
しかし、それは武術の相当な達人。
戦うことが目的でない私は、そこまで極めることはないのう。
こういう者相手の技が、ドラクエのダイの大冒険の中にある、アバンの空の技よね。
ヒュンケルとかが虚空閃とかやっとった、ああいうもん。
虚の要素は脱力から入り、究極は虚空に潜むこと。
そのことで実体としての向かって来よるパワーをまともに受けず、さりとて無防備でもない。
虚の要素の入り口に立つ者なら、その意味がわかるはず。
波動のパワーも、目には見えない。
しかし、無ではない。
自力でパワーとして使えるようにし、さらに魔法力の情報をそこに乗せるいうことも、空の技なんよ。
仲間内の人らも、そういうことは考えとらんかったんよ。
当たり前に波動が使えて、当たり前に魔法力を上乗せできる。
しかし、その背景には私の編み出した空の技があってのこと。
波動のパワーを知らん人が見れば、私らの波動の技は無を相手にしとるようにも見える。
波動のパワーも、もともとは私の理念から出発したもん。
そういう視点で見直すと、より理解が深まるはずなんよ。