福島原発事故前からずっと、原発事故や核戦争について対策を考え続けとった私。
それは、中学2年ぐらいに地元の図書館で見た原爆写真集と、はだしのゲンの描写のむごさからじゃった。
写真集では子供が炭になっとるのがあり、最初見た時、公園のブロンズ像かと思うた。
え?人間てこんなになるの?
しかし原爆の場合破壊力だけじゃなかった。
はだしのゲンでは戦後の広島を生きる人達が、その被災によってものすごくむごい状況になるのに衝撃を受けた。
あまりのことに科学に詳しいゾロ叔父に相談したんじゃけど、茨城も東海村の原発とかあるんで、何かあったら逃げにゃいけんて強く言われた。
そして高校時代、チェルノブイリの原発事故が起き、これはヤバいと思い、またゾロ叔父に相談した。
特集番組もかなり見た。
1つ言えることは、一口に原発事故言うても、被害は多彩かつ複雑、しかも長期いうこと。
単に距離や数値だけ計っただけでは全く役に立たないし、必ず予測不能の事態になるいうこと。
被曝は、すればするほどダメージは累積され、今の科学では元に戻せない。
ともあれ、あの当時の結論としては、原発事故は恐ろしいが、チェルノブイリは旧東側の国特有の黒鉛チャンネル型で安全性に問題があった。
しかし日本にあるような型なら安全いうこと。
つまり原発安全神話に完全にダマされた。
じゃけえ、対策もゆるかったし、福島原発の爆発の衝撃はでかかったのう。
あの当時はとりあえず仲間と認識しとる人達全員に、メールや電話で逃げるよう言うたし、そう呼びかけんかった人達は話をしてもムダじゃと思うた。
あの時点で連絡しなかった人達は、話が通じない人達いうことで捨て置いた。
福島原発の爆発は、その後起こり得る災いのことが容易に想像できた。
月の半分が有給休暇の状況も、天の助けじゃった。
東京に戻ってからも、逃げれんかった人達への邪気抜き対応はした。
それで対応せんかった人達は仲間と見なしていないことを意味しとる。
事故前から想定しといたことはだいたいやった。
そこに被災地の線量測定なんかはもともとする気もなかった。
事故後に付け焼き刃的に対策練ったやつとはそもそも根本的に考えが違うんよ。
安全が第一。