ユーチューブで、東海道新幹線開通の顛末を見た。
昭和30年代、あの当時の技術をフル稼働させて、建設の様子も明るさが溢れとった。
高度経済成長、その真っ只中に生きた人達は希望と喜びに満ちとったじゃろう。
急ピッチで進む建設と、試験走行。
駅の様子も古く、ああやがてここらへんで仕事することになるんよねとか思いながら、生まれる前の光景にいろんな思いをはせた。
そういや、新幹線は超特急いうフレコミじゃったのう。
0系新幹線の車内も、普通車は転換クロスシート。
最高時速250キロ。
今、私は新快速で姫路から大阪や神戸に通うとる。
時速こそ130キロなんじゃけど、転換クロスシートで高速運転しよる電車は、開業当時の新幹線クオリティに近い。
しかも新快速は、普通列車。
ま、それはそれ。
その後、私がこれまで東京で得た経験は、どれも得難いほどの貴重な経験となった。
学びにおいては、若い頃にあれだけのもんを吸収できた環境は、他にはなかったじゃろうって思える。
私が過ごしたのは、平成初期から20年あまり。
バブル崩壊から東日本大震災、福島原発事故。
学びにおいては、カルト教団Kの教祖を灯台に見立てて、組織を遠巻きに見ながらの速読勉強。
詐欺師にダマされたり、それらに反撃してやっつけたり、それなりに修羅場も潜った。
カルト教団Kの救世運動が失敗せんかったら、やはり東京での活動が正解なんじゃろう。
あそこが暗黒団体になってパワーバランスが大幅に崩れよったけえ、その障りのエネルギーが東日本で巨大化したことにより、東日本大震災と福島原発事故が起きたと思える。
東京は夢の街じゃった。
多くの人が戦後、あの繁栄を築くために努力した。
出来上がった東京は、その東京があることで生活できとる人もたくさん生み出した。
東京から離れて新たに就職するとなると、大幅に収入が減る人もおろう。
私は幸いそうならんかった。
収入をキープしつつ、離れられた。
ありがたいことじゃ。
しかし、今後の東京を考えると、いろんな予言とかもあるんじゃけど、明るい展望を述べとるのはほとんどない。
東京オリンピックが終わったら、間違いなく陰るのは必至じゃろう。
オリンピック自体も築地移転の件で、小池劇場が繰り広げたすったもんだは、間違いなくマイナスに働いた。
前任者にやらせとけばいうこともあるんじゃけど、あんなことやっとったんなら辞任で然るべし。
オリンピック以外では、地震、インフラ劣化、北朝鮮のミサイル問題、福島原発の放射能の問題がある。
この時代の最大のイベントであるはずじゃった、カルト教団Kの救世運動も大失敗。
ともあれ、オリンピック特需以外の材料はない。
改めて、前回の東京オリンピックの頃とは違う環境じゃとおもわされた。