近所の町内会で開催される秋祭り、それは地域に住む人たちが長い歴史の中で生み出して継承されてきたものです。
そのお祭りは町内によっても異なっており、住んでいる場所のものでもいくつかの芸能に分かれとるんよね。
ここでは獅子舞とだんじりなんじゃけど、獅子舞にも種類があって、槍の舞、ささらの舞、幣舞、地舞、継ぎ獅子、竹のハシゴ獅子とある。
さらにそのそれらに必要な笛や太鼓のメロディがあり、それらを一人で全部できる人はおらんのよ。
ある人はここのこの部分ができて、それを複数できる人もおれば、複雑な動きのものに特化した人までいろいろおる。
例えば、地舞いう2人で演じる獅子舞は、その前側しかできん人と後ろしかできん人ばかりで、両方できるのは1人しかおらんのよ。
片方はできる人も、これもかき集めて5人ぐらいなんで、両方できる人がおらんようになったとして、片方だけできる人がそれぞれ継承する形になる。
そんなこんなで、いつ継承する人がおらんようになってもおかしくないんよ。
実際には、今伝わっとるもん以外にも途絶えてしもうたもんがあったらしい。
今では幻となった踊りやメロディがあったいうことで、継承者がおらんかったことで、なくなってしもうた。
お祭りなんかはまだそれほど生活に直結した問題じゃないけえ、なくなったとしてもまあ残念でしたで終わる話なんよ。
しかし、例えばすごくすばらしいもので人間生活には大きく役に立つもんが途絶えてしもうたら、かなり不便を強いられることになるんよね。
私らの波動の技や理論なんかも、かなり便利なもんなんじゃけど、途絶えてしもうたらそれはかなりもったいないんよね。
私の場合、著作があるんでそれを参考に復興を試みる人がおるかもしれん。
しかし、技の実演の方が重要じゃけえ、一度途絶えたら容易に復興はできんじゃろうね。
カルト教団Kの堕落によってダメになった救世運動に関しても、その復興はできんものの顛末を残しておくことはできる。
そんでその顛末を残しておくことで、その後につながるもんがあると思うんよね。
文章で残しておくだけでええもんと、実演が必要ないもんといろいろある。
私らの場合には、せっかく技を教えた人らが亡くなってしもうたことがあり、元祖の私がおるんでまだええんじゃけど、あの人らには生きておって欲しかった。
ともあれ、そういう残念さがいろいろあって、なおさら継承者って大事なんよね。
ここの町内会のお祭りを通して、いろいろ考えさせられたんよね。