住まいの近所のお祭りに出始めて、いろいろ変わってきたことに、知り合いが増えてきたことがあるんよね。
まず近所の町内会では、カルトS信者以外はほぼ集まる。
昔から根づいた伝統の力は、かなりデカい。
さすがに3回目5年ぐらいになるんで、新入り感はもうだいぶ払拭されてきた。
街中で出くわすと、お互い挨拶する人がかなり増えた。
さらに昨年から、英賀神社獅子舞保存会の人らと知り合い、そことの交流が始まってそこの知り合いも増えてきた。
先日、電車乗っとったらその保存会の人に出くわして挨拶した。
向こうも、まんざら悪い気はしない。
顔知っとれば、それなりのコミュニケーションになるんよね。
おおこの勢いなら、なんやかやでいろいろな知り合いが増えるのう。
そこからまたお城まつりで今在家獅子舞保存会を紹介されたんで、そっちもまたつながりが増えれば、だいぶ知り合いが広域にできることになる。
町内会のお祭りの笛担当責任者を巻き込んで、英賀神社獅子舞保存会との交流を増やし、お互いの技の向上につながればええわのう。
お祭りの練習の休みの日に、お互いがお互いを訪問し合うことで、地元同士なんじゃけど改めてお互いを知り合うことにもなるじゃろう。
ここら辺の町内会としての意識としては、高校までのクラスとか大学の教室のような意識に近く、うちらの町内会こそみたいな誇りいうかプライドみたいなもんがあるんよね。
うちらはこれだけすごいんじゃけど、あっちはこうやみたいな、なんかそういうのがある。
部外者は、ここまでみたいな部分もある。
しかし、仲間意識が強まって部外者意識がなくなれば、そうした垣根を越えて連帯感ができるじゃろう。
それこそがねらいであり、町内会ぐるみで知り合いや協力体制ができれば、また広がる世界もあるじゃろう。
お祭り自体はある意味芸術的な価値があるのと、媒体にしか過ぎん。
しかし、そこを通じてできる人のつながりや絆は、後々財産になっていくじゃろう。
高校時代に6年固定のクラスに息苦しさを感じて、よそのクラスに入り浸るようになって友達増やしたことがあった。
そこで受けた刺激は、後々大きく役立ったもんがある。
大学の時に気功修行のからみでYのイヤガラセ妨害工作を受けた時に孤立して大幅に立場が悪くなったものの、先輩のコミュニティ留年生のコミュニティ退学生のコミュニティに入り込んで知り合い増やしたりもした。
あの時は先輩に地獄バイトにタタキ落とされ、そこで持ち堪えて学業と両立させたことで、そうしたコミュニティやバイト仲間のコミュニティが味方になった。
イヤガラセをやったYが、逆にその横暴さから孤立することになったんよね。
ともあれ、誠実に根回ししてそれなりに尽くせば、人にはその誠意が伝わる。
それがじわじわ効いてくる時が、やがて来るじゃろう。