カルト教団Kの初期には、相当熱い志を持った人たちが集った。
初期の雰囲気を知っとる私は、それをつぶさに見てきた。
同世代の若者がその志とともに集い、そのまま感動して東京で活動して破滅していった。
私は活動しようにも、金沢の山奥に閉じ込められて身動きができんかった。
しかし、同級生が東京から嬉々として語るその内容には、羨望しかなかった。
なぜこんな所に閉じ込められて何もできんのか、もどかしくて仕方なかった。
知り合いのTさんは山口県で支部長までされていたんじゃけど、彼も間一髪で難を逃れた一人。
私よりもさらに前にカルト教団Kを知った彼は、伝説の感動的な研修として名高い琵琶湖研修に仕事の関係で参加できんかった。
しかし、その琵琶湖研修に参加できんかったことが、その後の運命を分けた。
琵琶湖研修はかなり感動的な研修じゃったらしく、そこで感動した人たちのほとんどが、その後教団幹部になり、やがてアンチになった。
Tさんも参加しとったら、おそらく同じ道筋で人生崩壊じゃったんよね。
私も東京におったら、おそらく大学とかも辞めて活動して破滅しとったね。
私は身動きとれんかったことで、同級生を含めた同年代の人たちの転落を見ることができた。
その時思うたのが、感動することはあっても、その感動が強ければ強いほど同じぐらい冷静であるべきいうこと。
大学を卒業して東京に出てみると、前年まで嬉々として活動しとった人たちが、死んだような目になって黙々とおかしなことをしとった。
教団の急激な拡大方針への転換で、無理な伝道活動をやることに。
自分の過去の名簿をもとに、知り合いに自腹を切りながら月刊誌を半年送りつけるいうもの。
プレゼント伝道とか言うとったんじゃけど、それで会員数を水増ししてそのことに血道をあげとった。
借金してまでやっとるような人もおって、やった人らは信用を失うて友達や人脈をなくした。
それで会社を辞めるようになったり、感動そのまま突っ走って職員になって破滅したりといろいろ。
当時最年少で職員になった人が一時話題になっとって、しかしその後の状況は信者にきらわれてよろしくなかった。
それきり顔を見んようになったんで、おそらくクビになったか辞めたかしたんじゃろう。
こうした一時の感動で学校や会社辞めたり、職員になってツブシが効かんようなったりした人らは、もうどうもならんのよ。
結局みんな生まれる前に、救世運動を目指して志を強くして出てきたものの、その志に引っ張られその先に感動に引っ張られ、その結果破滅に向かうことになる。
教団を私に教えてくれた同級生は、留年しながらも卒業できただけマシじゃった。
挫折グセや負けグセがついた彼は、結局何一つ上手くいったことなく破滅した。
中高一貫校で私が落ちこぼれとる時に、学級委員長を歴任しとった姿からは、とても想像できんような状況になった。
活動やり過ぎて大学辞めた人らは、その後高卒フリーターとして生きるしかなくなった。
まもなくバブル期も終わり、その後は泣かず飛ばず。
熱い志を持った優秀な人材が、数多くダメにされ消えていった。
カルト教団Kの教祖の堕落と、その拡張欲の犠牲になった人たち、なんと哀れなるかな。
しかし、世間ではそんなもん信じる方が悪いいう評価になる。
破滅に至る心の動きや経緯などは、省みられることはない。
志は持ってもええ、感動をしてもええ。
しかし、それやるなら同じぐらいの冷静さを持つべきなんよ。
さらに、その冷静さを元に考えるべきなんよ。
生まれる前に持って出てきた強い志、しかしカルト教団K教祖が堕落したことで、目指すべき地上仏国土のこの時代での実現はなくなった。
状況は変わったんよ。
変わったなら変わったで、もうその志を持っとっても意味がない。
実現せん志は、時として周囲の人間を傷つける。
盲信者の原点も、その志にある。
志は咎め立てし難いものであるがゆえに、盲信者の心を解放することは相当大変なんよ。
しかし、志によって破滅に向かう可能性があることだけは、肝に銘じるべきなんよね。