六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

知識は学術的に優れているものと実用性のあるものとあり、ニーズは実用性のあるものに分がある。

知り合いの知性派のK医師がおり、だいぶ認知症が進んでしもうた。

 

彼の周りには友人がおらず孤立しとるんじゃけど、彼の話にそれなりについていける知り合いは私だけなんよ。

 

どうなんじゃろか?もともとの基礎学力はあちらが上として、今の知性を比べるとどうかのう。

 

やはり、私の方がもう上回ったかのう?

 

医師としての力は、当然医師でない私は及ばんのじゃけど、しかしそれ以外のことはさすがに学び続けたことで追い抜いたか。

 

ていうか、医師の業務でかかりきりになっとる彼には開業以来まとまった学びの時間はとれず、日々の作業に埋没しとるんよね。

 

私の知識は、それこそ実用性のあるもんばかりであり、そこに価値を見出せた人からは絶大な支持を得られる。

 

当然薬大を出とるんでそうしたベースはあるものの、しかしその知識を絶対視しとらんのよ。

 

現在の科学自体はまだまだ粗く、全てを解き明かしとるとは言えんのよ。

 

それを過信することは、唯物論もさることながら、真実にたどり着くのは困難なんよ。

 

K医師にしても、死んだら骨になるとかばかり。

 

転生輪廻のことは、おそらく信じとらんのよ。

 

学校で習うたこと以外、わからんのよね。

 

それ以外、目を向けようとせんかった。

 

それで済むならええんじゃけど、それで済まんのなら足りんもんを補う必要がある。

 

ひどい食生活と激務で体を壊し、認知症も発症。

 

そうなって初めて、私の話を心底聞く気になったんかのう。

 

彼の学んだものは、確かにすごいもんがある。

 

しかし、悲しいかな私よりも古い時期のもの。

 

17歳の年齢差、二浪と現役の差で大学入学は15年の差がある。

 

その間の科学の進歩、さらに大学卒業後も学び続けた私は、やはりより新しい学びがあるんよね。

 

医療のことは、10年で大きく変わる。

 

さらに、添加物を含めた食材の方面を小学校高学年から見続けてきた私には独自の観点が相当あって、通常の医師薬剤師にそれはない。

 

つまり、同じ薬剤師同士でも私とそれ以外では話が合わんようになっとる。

 

彼にとって、私のそうした話が新鮮なもんになって響いとるようなんよ。

 

しかしいくら響いたとして、それはもう少し早い時期に聞いて理解実行して欲しかった。

 

体を壊す前なら、おそらく大きな価値を持っとったことじゃろう。

 

体を壊してみて初めて、ようやく私の話を聞けるようになったんよね。

 

それはあまりにも悲しいことなんじゃけど、学びが深い知性派の人にありがちなことなんよ。

 

学術的に価値のある知識は、おそらく今でも私より彼の方が上じゃろう。

 

しかし、一般の人に彼がそういう話をしたところで、ついて行けんのよ。

 

じゃけえ、孤独になって友人ができんのよ。

 

私の話も、一般の人全員がついては来れん。

 

しかし、一部ついて来れる人がおる。

 

実用性があるんで、役に立つって思うた人はついて来る。

 

ついて来れる人がそれなりに残っていくんで、孤独にはならんのよ。

 

学術的に価値のある知識は、進学にこそ有利なんよ。

 

しかし、それについて行ける人は少ない。

 

実用性のある知識は、進学に直結することはあんまりない。

 

しかし、ニーズがある。

 

私からそういうもんを得た人らは、それを活用して生活に役立てる。

 

ただ、いくらその面で私と同じことができるようになっても、それらの人に関心がある人はできにくい。

 

六崎の取り巻きなんかはどうでもよくて、それより六崎本人でないとダメとかいう人はそれなりにおる。

 

その理論なら知っとるし、その技ならできるとかいう人がおったとして、お前じゃ話にならんけえ六崎を出せ言う人がおる。

 

K医師もそうなんじゃけど、その人と似たようなことができる人はおる。

 

代わりが効く人は、まあそんな人ばかりなんよね。

 

私は言わば、代わりが効かん人間なんよ。

 

学術的な価値ではなく、代わりが効かん実用性のある知識保有者なんよ。

 

人間はある程度の年代になった時に、結局その人の能力がその人が何者であるかを物語るようになる。

 

40の愚物は本当の愚物いう言葉もある。

 

40歳を過ぎて愚か者なら、もう愚か者であるいう話なんよね。

 

齢を重ねて積み上げたもの、それがどんな理由であっても使える能力であれば、それはその人の財産でありその人の存在を支えてその本人の証明をするんよ。

 

学術的に優れたものばかりを、追い過ぎてはダメなんよ。