六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

今さら言うても始まらん某団体のたられば。

今さら言うても始まらん、某団体が転落変質せんかった場合のたられば話を、ちょっと愚痴も交えてしてみたいと思います。

私がこの団体を知ったのは大学の頃。

あの当時は日本がバブルに向けてひた走っておりました。

世紀末への漠然とした不安はあるものの、フリーターが天下をとるとか言われて、何やっても食っていけそうな脳天気さがありました。

中学時代から仏教に傾倒しだした友人が私に本を貸してくれたのがきっかけでした。

友人は、私が学生時代で私が最も苦しかった時期、学級委員長を歴任し、当時落ちこぼれとった私からすればある意味殿上人みたいなもんじゃった。

彼はいろんなもんをよかれと思うて薦めてくれた。

高藤聡一郎の仙道の本、オウム真理教麻原彰晃の本、そして某団体の本。

何の能力もなく、当時の地獄から逃れるために私はとにかく能力が欲しかった。

高校の終わりに仙道の最初の関門、小周天をどうにか達成した私は、大学の頃高藤聡一郎みたいな能力を目指し、とにかく毎日気を練った。

結果として高藤さんとは違った形で能力が成長したんじゃけど、そういう意味では私に手を差し延べてくれたその友人によって、今現在の私の能力ならびに私が波動強化した人達のパワーが存在するんよね。

彼は私に仙道を薦めてくれたものの、その後ほどなくして某団体で活動し始めた。

大学時代の後半89年ぐらいかのう、あの頃ははつらつとして東京で活躍する彼のよもやま話を電話で聞くたびに、羨ましくて仕方がなかった。

大学をやめて一緒に活動したと本気で思うたこともある。

ようやく大学を卒業した私は91年に念願通り東京に住むことになった。

しかしその時、これから一緒にこの某団体のために活動しようと熱意をたぎらせとった私は、その友人と将来について語り合うべく、何度か会うて話をした。

しかしそうした中で私はその友人の理想に満ちた素晴らしい言葉と、そのわりに実生活の中身がおかしくなっとるアンバランスさに気づき始めた。

一昨日会うた人によれば、某団体が正常と言えたのは87年頃ぐらいまでで、ひいき目で見ても88年ぐらいまで。

脱会を決意したのは91年の事件じゃったいう話。