友人が活動を始めたのは88年頃で、ちょうど団体が変質する前後なんよ。
団体の変質転落と同じように彼の人生も狂い始めた。
彼は活動し過ぎて留年し、学費を立て替えるよう私に借金を申し込んできた。
また、彼に連れられて某団体の支部へ行ったりすると、そこには異様に加熱した熱心な人達の不自然な活動があった。
教えを広げるため、自腹を切りながら知り合いを会員登録して月刊誌を送り付けるプレゼント伝動に血道をあげている人達ばかりだった。
私もそれを見て、広げるためにはそうなのか?と最初は思ったものの、そんなバカな方法が長続きするもんかいと思った。
あなたもやりなさいとか言うとる支部の人達や支部長なんかとケンカになったりして友人ともギクシャクし始めた。
納得した人が信じるのはええ、しかし誰でも彼でも強引に活動させようとなると、当然おかしくなる。
しかしそれでも最初の頃は本の内容もしっかりしとったことからして、ここにこう書いてあるとか言いながら相手を納得させることもでき得たであろう。
しかし総裁の転落で本の内容が希薄になってくると、もはやそんなパープーな活動は顰蹙を買うだけになる。
いつしか友人との立場が逆転して彼が転落していくのを傍観するしかなくなり、また某団体も長い停滞期の中にどっぷりとなった。
そしてここ2~3年の急速な悪化。
無理な政治運動と原発推進、原発反対者は左翼と決めつけるやり方は、もはや正気じゃない。
これを時を遡り転落変質がなかったとしてどうじゃったろうか?
91年の事件で、80年代に変質したとはいえ立ち直りを期待して残っとった良識ある人達がほぼ脱会して、まともな意見の人が相対的にかなり減った。
それがなければ、その後総裁を諌めることも可能じゃったかもしれん。
不自然な活動も抑制でき、団体の健全性を保持できたかもしれん。
しかしやはり総裁の転落のきっかけが結婚にあったとすると、組織の健全性が多少長引いても、所詮悪あがきにしか過ぎんかったじゃろうね。
総裁本人が健全で、原発の問題も含めてまともな対策で世の中の変革をという可能性は、やはり総裁本人の身の振り方に大きなウエイトがあったいう結論しかないようじゃのう。
この問題はすごく長い愚痴になって終わりじゃのう。