六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

静かな盛り上がりの時期、学生時代だけじゃなかった。波動強化の時期と、小冊子を出しまくっとった頃もそれがあった。

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学生時代にあった静かな盛り上がりと、その後の急激な静けさは、その後もありました。

波動強化するにあたり、動いた2002~2003年ぐらいがまずあります。

この頃は、250人ぐらい見に来たようです。

あとは本のバート2とか小冊子を出しまくっとった頃よね。

この時は50人ぐらい。

わかる気がするっ!!!(たけした君の口調で)

ただ、その後は2009年以降急激にひいたのう。

この大勢で見に来た理由は、本来予定になかったことで、普段見れないもんを見たいいうことがあるみたいよね。

学生時代の修行を見に来たのは、その後のことを察知した人らが、珍しいもんじゃけえ見とこういう感じよね。

波動強化の達成も、リアルタイムで見る機会も確かにほぼ見れん。

小冊子出しまくっとったのも、まあまああんまり見れんか。

他の時期も、修行しとるはしとるんじゃけど、既存の行動じゃけえ、見るまでもないってか。

他の人に聞いても、こういう盛り上がりの時期ってほぼないんよ。

まあ、ないわのう。

某団体総裁も、転落以前はほぼ計画通りじゃったけえ、珍しいこともほぼなく、団体の立ち上げの時だけじゃったみたい。

しかし、その時点でほぼ転落が予見されとったいうことで、見に行った人らは複雑な心境だったんじゃないんかねぇ。

2009年以降急激にひいたのは、福島原発事故のこともあったんよね。

避難から新生活以降なんか見に来たってしゃ~ないわのう。

今は凪の状態です。

予想では再来年また何か来よるみたいです。

某団体総裁の転落で、予定外の状態になり、そこで見れる珍しいことは、やはり見れる時しか見れません。

学生時代の時来た人らは、不安な気持ちが大きかったみたいよね。

しかし、修行者として安定した後はそうでもない。

その時期その時期で意図は違うんじゃろうけど、とりあえず何かやるんじゃろ。

見に来た人らが関西に出とることみると、もはや関東で私が動くことはあるまい。

インチキ放射能手抜き測定野郎、n崎n詐欺の固執する福島近辺のことなど、全くやるに値しないことがようわかる。

茨城弁で言えばn崎はごじゃっぺ。

ごじゃっぺn崎。

原発事故の後、関東東北の人らが大量に被曝したのは事実。

被曝による時系列での肉体の劣化破壊は進行する。

今と同じ状態は永続しない。

n崎の受け売りする理論は、チェルノブイリで死者や被害がほとんどないとほざく田×神や、インチキ科学者K誠、灰×など。

インチキはインチキで集まるし、バカはバカで集まる。

修行者には修行者が集まるんよ。

嘘とインチキ、デタラメと主観的な決めつけが得意技で、自説を決闘や暴力で強制するn崎。

バカにはバカの真似っこ論法しかないんじゃけど、真似っこと嘘がバレるとシカトこいて逃げます。

私は新しい時代に向けての仕事をせにゃいけません。

障りもんと遊ぶ暇はないし、そういうやつらはシゴウするだけです。

新しい時代、悪をツブシにかけながら、新しい技や理論を開発しつつ、問題解決をしていきたいと思います。

皆さんで、ごじゃっぺn崎の死ぬのを暖かく見守り、死んだら障りもんの天誅による死いうことでゲラ笑いしてやりましょう。

n崎のぶざまな死には、あざ笑いが何よりの供養になります。